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今回は趣向を変えて、モリエールの戯曲「スカパンのわるだくみ」の冒頭部分、三訳(鈴木、秋山、私柴田)を比較してみる。
鈴木力衛は故人、元学習院大学教授。旧制第一高等学校に一番で入った大秀才。戦後の一時期、いわゆる新劇に翻訳戯曲を多数提供した。私もこの人の訳で「守
銭奴」(劇団俳優座上演)を見たが、そのときモリエールが面白いとは感じなかった。なんでこんな作家、作品が有名なのだろうと。後にフランスに遊び、コメ
ディー・フランセーズで同じ作品を鑑賞し、わざわざパリまで芝居を見に来た甲斐があったと思った。鈴木に罪はない、膠着語である日本語では弾けるようなこ
とばの響きがなかなか出せないのである。
例えば、従僕に娘を結婚させるように忠告され、主人公アパルゴンが答える台詞(抄)。
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アパルゴン:
わかった、ただし持参金なしでだぞ。
ジャック親方:
かしこまりました。
(しばらくしてアパルゴンが念をおす)
アパルゴン:
持参金なしでだぞ。
ジャック親方:
かしこまりました。
たしか滝田裕介のアパルゴン、橋本功のジャック親方だった(二人ともうまい役者である)が、どうやってもこの台詞で観客の笑いをとることはできまい。
それが、パリの舞台では
アパルゴン:
Sans dot.(サンド)
ジャック親方:
Sans doute.(サンドゥトゥ)
と音をそろえておかしさを誘っている。
冗漫にならぬようできるだけ凝縮する、音と意味を掛けねばならぬ、など舞台の翻訳は難しいものだ。だが何とかそれらしくする努力は積まねばならない。
鈴木訳と秋山伸子訳(パリ大学博士、青山学院大学教授、モリエール全訳の偉業を成し遂げた)は意味を正しく追うのに傾注している(それはそれで意味がある)。私は言葉の反復の滑稽さを出そうと試みたが、狙いどおりになっているだろうか。
ちなみに30年以上前に見たコメディー・フランセーズの舞台では、「会話途中でオクターブ、シルベストルのオウム返しに怪訝な顔をする」と、当時とった私の観劇ノートにある。
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〔スカパンのわるだくみ 鈴木力衛訳〕317字
オクターブ:
ああ!恋する者にとってなんといういやな知らせだろう!まったくもう、ぼくは進退きわまったよ。おい、シルベストル、おまえは港で聞いたんだね、うちの親爺が帰って来るって?
シルベストル:
はい。
オクターブ:
今朝にも着くって?
シルベストル:
今朝にも。
オクターブ:
ぼくを結婚させるつもりで帰ってくるんだって?
シルベストル:
はい。
オクターブ:
ジェロントさんの娘と?
シルベストル:
ジェロントさんの。
オクターブ:
それでその娘さんはわざわざタラントからここまで呼ばれたんだって、そのために?
シルベストル:
はい。
オクターブ:
おまえはぼくの叔父さんからこの知らせを聞いたのか?
シルベストル:
叔父さまから。
オクターブ:
その叔父さんに、親爺は手紙で知らせてきたんだって?
シルベストル:
手紙で。
オクターブ:
で、ぼくたちの一件は、なにもかもその叔父さんに筒抜けだというんだな?
シルベストル:
なにもかも筒抜けで。
オクターブ:
おいおい、なんとか言えよ、そんな生返事ばかりしていないで。
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〔スカパンのわるだくみ 秋山伸子訳〕286字
オクターブ:
ああ!恋する心には迷惑な知らせだ!とんでもないことになった!えっシルベストル、港で聞いたのか、おやじが戻って来るって?
シルベストル:
はい。
オクターブ:
今朝にも着くって?
シルベストル:
今朝にも。
オクターブ:
で、おやじは戻って来て、僕を結婚させる気なのか?
シルベストル:
はい。
オクターブ:
ジェロントさんの娘と?
シルベストル:
ジェロントさまの。
オクターブ:
で、その娘はそのためにタラントからこっちに呼ばれているのか?
シルベストル:
はい。
オクターブ:
で、その知らせは伯父さんから聞いたんだな?
シルベストル:
伯父さまから。
オクターブ:
おやじが手紙で伯父さんにそう書いてやったんだな?
シルベストル:
手紙で。
オクターブ:
で、伯父さんは、僕たちのことをすっかり知っているんだって?
シルベストル:
私たちのことをすっかり。
オクターブ:
ああ!頼むから話してくれよ。いちいち僕が聞くまで待ってないでさ。
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〔モリエール『スカパンのわるだくみ』 柴田耕太郎訳〕253字
オクターブ:
嗚呼!恋する心に辛い知らせだ、俺が陥った絶体絶命の窮地。
シルベストル、親爺が帰って来るって港で聞いたって。
シルベストル:
さようで。
オクターブ:
それも今朝着くって。
シルベストル:
それも今朝。
オクターブ:
で親爺は俺を結婚させようっていうんだな?
シルベストル:
さようで。
オクターブ:
ジェロントさんの娘と?
シルベストル:
ジェロントさんの娘と。
オクターブ:
それで娘はタラントからここへ呼ばれてるって。
シルベストル:
さようで。
オクターブ:
お前はその便りを叔父さんから聞いたと。
シルベストル:
叔父さんから。
オクターブ:
親爺は叔父さんに手紙でそれを知らせたと。
シルベストル:
手紙で。
オクターブ:
で叔父さんは僕らの事を全部知っているって。
シルベストル:
僕らの事全部。
オクターブ:
ああ。答えるのはいいが、人の言葉をオウム返ししないでくれ。
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