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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳・悪訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編から任意に選ぶ。いずれも原文で10ページに満たない短いものだから、読者も自分で訳してみて、この解説を参考に、市販訳との優劣を競ってみてはいかがだろうか。
冒頭に誤りの種別と誤訳度を示したうえ、原文と邦訳、誤訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、解説を読んでください。パズルをとく気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
今回取り上げるのは、『飛行士たちの話』(早川書房、永井淳・訳)のなかの『昨日は美しかった』(YESTERDAY WAS BEAUTIFUL)。
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誤訳度(悪訳度): |
*** |
致命的誤訳(悪訳)(原文を台無しにする) |
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** |
欠陥的誤訳(悪訳)(原文の理解を損なう) |
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愛嬌的誤訳(悪訳)(誤差で許される範囲) |
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昨日は美しかった
[ストーリー]
ドイツ軍との空中戦で撃墜され、ギリシアの小島にパラシュートで降りた飛行士は、本土への船便を求め、集落に向かう。集落もドイツ軍の爆撃で、家屋の多くが崩れてしまっている。途中、ひとりの老人に出会い、村で唯ひとり船を所有する男の仮住まいを教えられる。その住まいには男の妻がいて、ドイツ軍の爆撃で娘を失った悲しみを語る。男の居場所を問う飛行士に、妻は集落のはずれにたたずむ老人(さっき会った老人)を指差す。
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永井淳は、ロアルド・ダールの幾人かいる訳者のうちでも、一番誤訳が少ない人だ。おまけに、ここで取り上げている短編はわずか3ページ半だから、誤訳も悪訳もじつは見当たらない。そこで、重箱の隅をほじくる類の批評を、思い切ってさせてもらうことにする。 |
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HE BENT DOWN and rubbed his ankle where it had been sprained with the walking so that he couldn’t see the ankle bone.
彼は腰をかがめて、挫いた足の、歩きすぎでくるぶしの見分けがつかないほど腫れあがったところを、両手でマッサージした。
[解説]
二文に分解してみる。
He bent down and rubbed his ankle.
彼はかがんで、自分の足首(くるぶし)をさすった。
It had been sprained with the walking so that he couldn't see the ankle bone at his ankle.
彼のくるぶしにおいては彼がくるぶしの骨が見られないほど、歩行によってそれはくじかれていた
it (それ)は何をさすのだろう。itは「文中で問題になっていること」をさす、という規則に従えば、「(くるぶしの)痛む部分」ということになろう。
永井の訳は、これでよろしいということになる。 |
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‘Dammit, there must be someone here,’ he said aloud, and he felt better when he heard the sound of his voice.
「くそっ、だれかいるはずだがな」と独りごとをいい、自分の声を聞いてやや気が晴れた。
[解説]
say aloudは「声に出していう」だから、独り言とは限らない。独り言をいうは、talk to oneself または think aloud
例:My mother often talks to herself.(母はよく独り言をいう)
とはいえ、翻訳の誤差として充分許される範囲だ。 |
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He walked on, limping, walking on the toe of his injured foot, and when he turned the next corner he saw the sea and the way the road curved around between the ruined houses and went on down the hill to the edge of the water.
びっこを引き引き、捻挫したほうの足を爪先立てて歩き続けた。つぎの角を曲がると、海と、カーブした道が崩れた家々のあいだを抜けて、海岸へと丘を下ってゆく方角へ眼を向けた。
[解説]
誤訳があるわけではないが、悪訳っぽい。「海」と並列する「カーブした道が崩れた家々のあいだを抜けて、海岸へと丘を下ってゆく方角」が長すぎてバランスが悪く、読むのが疲れる。
way は「方角」でなく、「道筋」だろう。これだけ長さのバランスが悪いと並列で処理するのはつらい。二文に分解するか、長いほうを短いほうに形容詞的にかけてやるとよい。
意訳例 |
つぎの角を曲がると、崩れた家々の間を道が回りこんで丘を下り汀につづく道筋が眼に入り、その先には広々とした海があった。 |
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He had learned Greek from the people up around Larissa and Yanina.
彼はラリサやヤニナあたりの住民からギリシャ語を習っていた。
[解説]
「習っていた」では進行形にとれるが、learn は動的動詞。動的動詞の完了形は継続を含意せず、経験か完了ととるのが普通。また learn は「学んで、習得する」で「習得」に力点がある。ゆえに、「地元の人から教わり、身につけていた」の意味となる。また、日本語では二つのものしか念頭になくとも「…や」とし、含みあるいは和らげを示すことがあるので、and を「や」として不可としないが、正しくは「…と」。
原文に沿った訳例 |
彼はラリサとヤニナの住民からギリシア語を学んだ |
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‘Joannis is the one here who has a boat.’
「ここで船を持っているのはイオアンニスだよ」
[解説]
人名の読みかたは難しいが、これと同じ綴りの知り合いのギリシア人がかっていて、「ヤニス」と皆呼んでいた。そっちのほうが正しいのではないか。 |
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‘Joannis has had a boat. His boat is white with a blue line around the top,’
「イオアンニスは船を持っておった。白い船で、へりに青い線の入ったやつだった」
[解説]
the top が多義でわかりにくい。「てっぺん」なら船の操縦室の上の部分。「表面」なら船の外側。「屋根」なら屋根の端。「最初」なら船の先端部。悔しいがわからない。どなたか教えてください。 |
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