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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された 『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画「007は二度死ぬ」の脚本家でもあるロアルド・ダール (Roald Dahl)の短編集「キス・キス」(KISS, KISS)。全11編を月二回、一年かけて点検してゆく。俎上に乗せる邦訳は開高健・訳『キス・キス』(早川書房)。
冒頭に誤りの種別と誤訳度を示したうえ、原文と邦訳、誤訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、
解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。 |
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誤訳度: |
*** |
致命的誤訳(原文を台無しにする) |
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** |
欠陥的誤訳(原文の理解を損なう) |
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* |
愛嬌的誤訳(誤差で許される範囲) |
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ウィリアムとメアリイ [William and Mary]
[ストーリー]
ウィリアムはオックスフォードの哲学教授。癌に侵され、余命いくばくもなくなったとき、医師のランディに、脳だけを生かす実験に協力するよう頼まれる。これを受け入れる苦衷の決断をして死んでいったウィリアム。遺書で事の次第を読んだ妻のメアリイは、ランディ医師の病院に赴く。そこで彼女が見たものは…。 |
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●代名詞:***
If this is about what I am beginning to suspect it is about, she told herself, then I don't want to read it.
「これが、どんなことを書いているのかしらとわたしが疑うようなものなら、と彼女はひとりごちた。わたしは読みたくない。
[解説]
下線部の意味が不明。原文を正確に読み取れないので、誤魔化したと思える訳文だ。what を the thing which に置き換えた上で、二文に分解するとよくわかる。
This is about the thing. I am beginning to suspect that it is about the thing. となる。it は抽象性が高く、代名詞 this を受けるいわば代・代名詞(これはその事柄に関してのものだ。私はこれがその事柄に関してのものだとうすうす感じ始めている《ひょっとしたらそうかなと思っているまさにそのこと》)。suspect は、「(よくない事について)…だと思う」。こう理解した上で、自然な日本語にすればよい。なお、別項で触れるが tell oneself は「自分に言い聞かせる」。
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意訳 |
「あのことだったらイヤだなと私が思っていることが書かれてあるのだったら、」 |
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●間投詞:*
Can one refuse to read a letter from the dead?
Yes.
Well...
「死人の手紙を読むのを拒絶していいものかしら?
いいわ。
しょうがない…」
[解説]
ここだけでは分からないが、このあと、今でも夫の幻影に怯えることがあるとの叙述があって、ようやく手紙(遺書)を読もうとすることから、この well は、ためらい、または思案を示しているものととるのがよいだろう。
「さて…」「でも…」 |
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●形容詞:**
..., every now and then a pair of eyes would glance up from the book and settle on her, watchful, but strangely impersonal, as if calculating something.
「…、ときたま二つの眼が書物から、油断なく、けれど何かを計算するかのように、異常なほど無関心にそそがれるのだった。」
[解説]
impersonal は「非人間的に」。無関心なのでなく、感情を殺している、その様が異常に思えるのだ。
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●形容詞:**
Do not be alarmed by the sight of all this writing.
「この手紙を読んで、心配したりしてはいけない。」
[解説]
「心配」よりもっと強い。何しろ脳だけ生き永らえさせようという試みなのだから。
「驚いてはいけない」 |
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●否定:***
This, as I have already told you, is a very foolish attitude to take, and I find it not entirely an unselfish one either.
「これは、すでにお前にいったことだが、非常に愚劣な態度で、私が見るところ、他人に対してとるべき態度ではないと思う。」
[解説]
it は(your) attitude。oneはattitude。not either は、肯定文に続いて用いられる場合、前節を補強し「といっても…ではない」の意味になる。それに部分否定 not entirely「全く…というわけではない」が重なったもの。find は「気づく」「認識する」の意。
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全文の直訳 |
「これは、私が既にお前にいったように、とるにはとても愚かな態度であり、といっても私はその態度が全面的に非利己的態度であるというわけではない、と思う」 |
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全文の意訳 |
「これは前に言ったように非常に愚かな態度だが、かといって利他的な気持ちばかりともいえまい」→「これは前に言ったように愚かな態度だが、ある部分で自己中心的でもあると思う」 |
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●動詞:*
'Well,' he said, and I could see him watching me carefully, 'personally, I don't believe that after you're dead you'll ever hear of yourself again...unless...'
「まあ」と彼はいったが、注意深く私を見ているのが私にはよくわかった。「わし個人の考えをいえば、死後のきみが自分の噂を聞くというような話は信じないね…もっとも…」
[解説]
believeは、意味の幅が広い言葉。「信じる」一点張りだと、大げさに感じられることがある。
例:I believe that Mary will arrive.(マリーは来ると思う)。ここも、そうしたほうがよいところ。
「ことになるとは思わない」→「ことができるとは思わないね」
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●形容詞:**
...provided, of course, that a supply of properly oxygenated blood could be maintained.
「それも酸化した血液の補給が維持できればのばあいだがね。」
[解説]
「酸化した」では、物が悪くなったみたいだ(その場合oxide、oxidizedを使うだろう)。ここは「酸素をきちんと供給された血液」のこと。
「血液への酸素の供給がきちんと」
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●前置詞:***
...; and my plans would not involve touching you at all until after you are dead.
「きみが死んだあとまで、きみに干渉するといったことは、わしの計画には入っておらん。」
[解説]
「死んだあとまで干渉しない」でなく、「死んでしまうまで干渉しない」→「死ぬまでは一切手をつけない」といっている。
afterがうるさい感じだが、you are dead だけでは「死んでいる」のか「死んだ」のかがあいまいなので、時間の前後関係をあらわす前置詞afterを前に入れたもの(この場合after以下は、名詞句。until は前置詞と取るのがよいだろう)。例:until after dark(日が暮れてしまうまで)。would は仮定法過去(現在から未来にかけての仮想)で、条件に当る部分が省略されている形。
全文直訳すれば「私の計画は(それがもし実行された場合)、きみが死んでしまうまで、絶対にきみに触れないことを伴うことになるはずだ」。
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全文の意訳 |
「君が完全に死んでしまうまで、指一本触れはしないさ」 |
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●イディオム:***
'It seems to me there'd be some doubts as to whether I were dead or alive by the time you'd finished with me.'
「きみがわたしと絶交するまでに、わたしが生きているか死んでいるかということに、いささか疑問があるように思えるが」
[解説]
there'd の 'd は would の縮約形で仮定法。doubt は可算名詞化され、具体的な「疑問点」に転化。whether 〜 or −は、〜か−かどちらかの選択を示すが、訳文は意味があいまい。finish withを「私と終える」ととり、「絶交」としたのだろうが、「…を処理する」「…を片付ける」のイディオム。ここは、脳を生きたまま取り出す手術の可否をやりあっている場面なので、状況がわかるように訳す。
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全体の直訳 |
「(もしそうなった場合)きみが私に対して(手術を)やり終えてしまうまで、私が死んでいるか生きているかどうかについていくらかの疑問点が存在することになるものと、私には思える」 |
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全体の意訳 |
「きみの手術が終るまで果たしてぼくの命がもつだろうか」 |
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