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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳・悪訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編集『あなたに似た人』(SOMEONE LIKE YOU)。俎上に乗せる邦訳は田村隆一・訳『あなたに似た人』(早川書房)。
冒頭に誤りの種別と悪訳度を示したうえ、原文と邦訳、悪訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
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悪訳度: |
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致命的悪訳(原文を台無しにする) |
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欠陥的悪訳(原文の理解を損なう) |
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愛嬌的悪訳(誤差で許される範囲) |
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告別
[ストーリー]
初老の富豪ライオネルは、若い美女ジャネット・デ・ペルジアと付き合っていた。あるとき、旧知のポンソンビー夫人から、ジャネットが自分の悪口を言っていたと告げられる。誇りを傷つけられたライオネルは、残忍な復讐を企てる。人気画家ロイデンが女性を描く際の、まずヌード、それから下着、ドレスと、絵の具を上に塗り重ねてゆく技法を知り、彼女の全身大肖像画をひそかに依頼した。でき上がった肖像画は、上塗り部分を丁寧に落としていった。そして、社交界の紳士・淑女を自邸に集めローソクの灯での晩餐会を催す。宴が終わり明かりが点くと、壁には何と下着姿のジャネットが飾られていた。
郊外の別荘に行方をくらますが、ジャネットから「貴方の冗談を怒ってはいない」との手紙と一緒に好物のキャビアが送られてきた。そのキャビアを後悔の念とともに数匙胃におさめたところ—何だか具合が悪くなってきた。 |
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**語義 |
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The money he has was earned by his dead father whose memory he is inclined to despise. |
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この男のもっている金といえば、それは死んだオヤジのかせいだ金で、そのオヤジの想い出となるととかく軽蔑するものだ。
[解説] |
despise は、ここでは「ひどく嫌う」という意味。「彼は父親の想い出をひどく嫌う」、つまり思い出したくないのだ。 |
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修正訳 |
その親父のことは思いだしてもぞっとするのだ。
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*よみがな ***指示語 **こなれ具合 |
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His ①Constables, Boningtons, Lautrecs, Redons, Vuillards, Matthew Smiths are as fine as anything in the Tate; and because they are so fabulous and beautiful they create an atmosphere of suspense around him in the home, ②something tantalizing, breathtaking, faintly frightening — frightening to think that he has the power and the right, if he feels inclined, to slash, tear, plunge his fist through a superb Dedham Vale, a Mont Saint-Victoire, an Arles cornfield, a Tahiti maiden, a portrait of Madame Cezanne. And from the walls on which these wonders hang there issues a little golden glow of splendour, a subtle emanation or grandeur in which he lives and moves and entertains with ③a sly nonchalance that is not entirely unpractised.
彼がもっている①カンスタンブル、ボニントン、ロートレック、ルドン、ヴィユアール、マシュウ・スミスの作品はテイト美術館にあるどの作品にも優るとも劣らないものばかり。 この蒐められた美術品が、あまりにも美しいので、邸内の彼の身のまわりには、なにかサスペンスにあふれる空気さえかもし出されるのだ、②なにか気をじらせるような、ハッと息をのませるような、かすかにおののかせるような雰囲気 — あのすばらしいデダム・ヴェール、モンサン・ヴィクトワール、アルルの麦畑、タヒチの女、セザンヌ夫人の肖像を、ズタズタに切ろうと、ひき裂こうと、ゲンコツで突き破ろうと、やる気になればやるだけの権力と権利が彼の手にあるということ、②それは、こう考えるときのおそろしさだ。そして、このみごとな美術品がならんでかかっている壁からは、その華麗さの黄金色にひかる輝きがたちのぼり、③人為的といっていいようなあのノンシャランスさで彼が起居し、客を歓待したところには、なにかいい難い重々しさがただよっているのだ。
[解説] |
①地名、人名は現地語で、普通に読み慣わされている読み方にする |
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②「それ」と「こう」の指すものが分からない(いずれも②上半部を指す)。 |
修正訳 |
(②後半部)そう考えると人をおののかせてしまう雰囲気が漂っているのだ。 |
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③直訳すれば「完全に未熟とはいえないずるい無頓着さ」。 |
修正訳 |
さりげなさそうにしてはいるものの、どこか作為が見える無頓着さ |
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*語義 |
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Gladys Ponsonby is an unusually short woman, certainly not more than four feet nine or ten, maybe even less than that — one of those tiny persons who gives me, when I am beside her, the comical, rather wobbly feeling that I am standing on a chair.
グラディス・ポンソンビイは、なみはずれて背が低い、どうみても四フィート九インチかそこいらで、いや、ひょっとしたらもっと低いかな、— 彼女とならぶと、なんだか滑稽なような、まるで私が椅子の上に立っているといった、グラグラするような感じをあたえる、そういうちっぽけな人なのだ。
[解説] |
「ちっぽけな」では「取るに足らない」と読めてしまう。一応は、ポンソンビイは伯爵未亡人なのだ。直訳「異常に背の低い女」 |
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**誤用 |
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‘I think John Royden is a genius. Don’t you think he’s a genius, Lionel?’
‘Well — that might be going a bit far.’
「ジョン・ロイデンは天才だと思いますわ。そうお思いにならない?ライオネル」 「そうですな、それはちょっと言葉が過ぎるんじゃないですか」
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[解説] |
「言葉が過ぎる」では「言い過ぎで相手に失礼」ということになる。ここは逆に「そういう言い方をするとすれば、それはちょっと遠くへ行きすぎということになる」つまり「ほめすぎ」ということ。 |
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*語感 |
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— and Gladys Ponsonby, sitting upright on the sofa with her feet not quite touching the floor, her eyes away from me now, looking at the wall, began cleverly to mimic the deep tone of that voice I knew so well —
そう言うとグラディスは、足を床にスレスレになるくらいまでに、ソファに真直ぐ座って、眼を私からそらして、壁にむけながら、あの、私がよく知っている、深い調子の声をうまく真似て話しはじめた —
[解説] |
本来床に触れてはいけないものを、少し触れてしまう、と読める。方向が逆。ほとんど足が床に届かないのだ。 |
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*比較の対象 |
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I now decided, on the spur of the moment, that it would be best if I were to go abroad in the interim; and the very next morning, after sending a message to Janet (with whom, you will remember, I was due to dine that night) telling her I had been called away, I left for Italy.
私が、つぎに、即座にきめたことは、絵ができ上るまで外国に行っている方が、いちばんいいということだ。それで、翌朝すぐジャネット(ご想像のとおり、この夜も、彼女と一緒に食事をすることになっていたのだ)手紙を出して、急に用件ができた旨を告げ、イタリアへ私は出発した。
[解説] |
何と比べて、が見えない。また、わざわざ比べる必要もないところ。直訳「もし私が外国にいくつもりがあるとしたら、それは一番よいことだろう。」 |
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**誤用 |
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The picture of Janet de Pelagia had been painted and hung in the Exhibition, and it was already the subject of much favourable comment both by the critics and the public.
ジャネット・デ・ペラジアの絵は完成されて、展覧会場に出品されていた。その上、もうすでに批評家からも一般からも絶賛の的になっていた。
[解説] |
コロケーションの問題。「賞賛の的」とはいうが「絶賛の的」とはいわない。 |
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**あいまい |
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..., adding a drop or two more of alcohol to my mixture, testing again, adding another drop until finally it was just strong enough to loosen the pigment.
溶液に一滴、二滴とアルコールを加えながら、そしてまた具合を試してみる、色素がやっとうまく溶ける程度の強さにするために、さらに一滴、アルコールをたらして。
[解説] |
「色素が溶ける程度」では、科学の専門家の実験みたいだ。 |
修正訳 |
絵の具がうまく柔らかくなるよう、さらに一滴、アルコールをたらして。 |
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**誤用 |
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I didn’t for the life of me know what the thing was called, but it was a formidable apparatus constructed of what appeared to be a strong thick elastic material, and its purpose was apparently to contain and to compress the woman’s bulging figure into a neat streamlined shape, giving a quite false impression of slimness.
とにかく、強靭で厚い弾力性のある材料のごときもので作られた、もの凄い装置で、その目的が、この女性のふくれているからだを、きれいな流線型におしこめて、いかにもスラリとしているといった、真赤な偽物の印象を人にあたえるためにあることは、あきらかである。
[解説] |
日本語の使い方が乱暴。 |
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**口語 |
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Janet de Pelagia was wearing the same black dress she had used for the portrait, and every time I caught sight of her, a kind of huge bubble-vision — as in those absurd cartoons — would float up above my head, and in it I would see Janet in her underclothes, the black brassiere, the pink elastic belt, the suspenders, the jockey’s legs.
ジャネット・デ・ペラジアは、あの肖像画のとおなじ黒のドレスを着ていた、そして、彼女が私の眼にうつるたんびに、私の頭には大きな雲の形をしたもの — よく、滑稽な漫画にでてくるようなやつだ — がポッカリ浮かんで、そのなかに、下着と黒のブラジャー、ピンクの弾力性ベルト、サスペンダー、それにガニマタの彼女の姿があらわれてくるのだ。
[解説] |
口語は俗な印象を与えるので、なるべく避ける。 |
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**誤用 **丁寧 |
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She informed me — with what I thought was just a trace of relish — that everybody was up in arms, that all of them, all my old and loving friends were saying the most terrible things about me and had sworn never never to speak to me again. Except her, ①she kept saying. Everybody except her. And didn’t I think it would be rather cozy, she asked, ②if she were to come down and stay with me a few days to cheer me up?
彼女が言うには — それも私には、いかにも小気味がいいといった調子にひびいたのだが — みんな、すっかり憤慨してしまって、だれもかれも、古い昔からの親友にいたるまで、この私については実に聞くにたえないようなことを言っていて、もう私には絶対に口をきかないと言っているというのだ。ただあの女をのぞいてはね、とポンソンビイは①なんども念をおすのさ。あの女のほかの人たちはみんなね、とこうなのだ。それで、もしあの女が②私を元気づけるために、私のところへやって来て、二、三日泊まっていったら、たいへんいいんじゃないか、そう私にきくのだ。
[解説] |
①「念をおす」のではなく keep 〜ing は「…し続ける」。 |
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②もう少し、相手に対する尊敬の念を入れてほしい。 |
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