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第53回 (3月号)*2月は休載
『猛犬にご注意』BEWARE OF THE DOG
by 柴田耕太郎
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 文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
 そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳・悪訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編集『あなたに似た人』(SOMEONE LIKE YOU)。俎上に乗せる邦訳は永井淳・訳『猛犬にご注意』。
 冒頭に誤りの種別と悪訳度を示したうえ、原文と邦訳、悪訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
『猛犬に注意』BEWARE OF THE DOG
 この作品の訳者、永井淳の英文読解力は大したものだ。普通の翻訳者であれば、ベテランであってもこれぐらいの長さの作品なら、誤訳・悪訳の二つや三つ見つかるはずだが、まず見当たらない。訳文も読みやすい(まま、永井の訳は、枚数を稼ごうとするせいか、流して訳しているなと感ずることがあるが)。  そういうわけで、今回は文句をいう所もないのだが、私自身の理解があいまいであって、永井の解釈もそれでいいのか、と思われる箇所を挙げて、読者の判断に委ねたいと思う。ご賢察を。

[ストーリー]
 空中戦で片足を失った英国空軍パイロット。奇跡的に助けられ、友軍の病院に収容されたが何かがおかしい。土地がブリントンのはずなのに、水は軟水でなく硬水。敵機ユンカースの爆音が遠くで響くのに、空襲も空中戦もない。思い余って、痛い足を引きずって窓辺へ行きカーテンを開く。すると窓から広がる景色の中の看板が目に入った「GARDE AU CHIEN」(猛犬に注意)。ここはフランスだ!あやうく欺かれ、飛行情報をべらべらしゃべってしまうところだった…。

*注: フランスは二次大戦早々、ドイツ軍に敗れ、寝返ってイギリスと戦っていたのである。あれっ、と思う事実。
When Yorky comes up on to the wing and gets sick, Ill say, Yorky you old son of a bitch, have you fixed my car yet. Then when I get out Ill make my report. Later Ill go up to London. Ill take that half bottle of whisky with me and Ill give it to Bluey. Well sit in her room and drink it.

ヨーキーが翼によじのぼってきて気分が悪くなったら、ヨーキー、このろくでなしめ、もうおれの車の用意はできているのか、ときいてやる。それから、飛行機から降りて報告をする。あとでロンドンへでかける。例の半分残ったウィスキーを持って行ってブルーイにやろう。彼女の部屋に坐って一緒にそいつを飲む。

[コメント]
疑問: 「おれの車の用意」の意味がよくわからないが。
私見: 永井は、fix を「整備する」の意味でとっているのだろうか。これから非番になり my car で外出する」のか?それとも、別の解釈、下の②の意味でとったのだろうか。
「愛機」を car に例えたのであれば、fix は「固定する」(車輪の下に滑り止めを置くなどして。だが飛行機にそうする習わしがあるかどうか…) 
滑走路から事務所まで離れているのであれば、車でもって送迎することもあろう。この場合 my car は迎えの車。fix は「段取りを整える」(arrange)、となる。

疑問: 「飲み残しのウィスキー」なのか?
私見: that は「例の」でよいが half bottle はいわゆるハーフボトルのことをいっているのではないだろうか?

Well go everywhere in cars. I always hated walking except when I walked down the street of the coppersmiths in Baghdad, but I could go in a rickshaw.

車ならどこへでも行ける。バグダッドの銅細工師の通りは、おれは歩くのが大嫌いだけど、なに、あすこだって人力車でなら入れる。

[コメント]
疑問: 「歩くのが嫌い」なのは「バグダッドの通り」なのか、それとも「それ以外の所」なのか。
私見: 永井の訳では、「歩くのが嫌いなバグダッドの通り」とも、挿入的に「他の場所は歩くのが嫌い」ともとれそう…。
直訳すると、「私はいつもは歩くのが大嫌いだった、ただしバクダッドの銅細工師の通りは別だが。だが、人力車に乗ってなら行くことはできよう/できた」。
この
could は、過去の能力でなく仮定法ととりたい。意識の流れは、[歩くのは嫌い→でもバグダッドの通りは歩きたい→片足では歩けない→車はふつう入れない→人力車なら入れる]、ということではないのか。永井の理解もこうだと思うが、訳文が舌足らずな気がする。

He throttled back, pulled off his helmet, undid his straps and pushed the stick hard over to the left. The Spitfire dipped its port wing and turned smoothly over on to its back. The pilot fell out.

彼はスロットルを引き戻し、飛行帽を脱ぎ、ベルトをはずし、操縦桿をぐっと左へ倒した。スピットファイアは左翼を下げてスムーズに寝返りをうった。パイロットは脱出した。

[コメント]
疑問: 「寝返り」だと、地面の上に思えそう。
私見: 訳語を変えてほしい。例えば「反転した」。turn over on to its back は自動詞+副詞+前置詞句で、ひっくり返る+背中の上に「あお向けにひっくり返る」。

Well, well,he said. So youve decided to wake up at last. How are you feeling?
I feel all right.

「やあ、やあ」、と彼はいった。「とうとう目をさます決心がついたそうだな。気分はどうかね?」 「上々です」

[コメント]
疑問: 「目をさます決心」とはどんなものだろう。
私見: やはり decide to do は「…することに決める」の意味しかなさそう。ここ、医師が患者をリラックスさせるためのジョークなのだろう。永井の訳は唐突で、大げさに感じてしまう。「とうとう目をさますことにしたんだね」ぐらいでどうか。

That evening the nurse came in with a basin of hot water and began to wash him.

夕方、看護婦がお湯の入った洗面器を持ってきて、彼の体を清めにかかった

[コメント]
疑問: 「清めにかかる」では宗教っぽいが。
私見: かといって「洗いにかかった」では、風呂場みたいだ。「拭いはじめた」ではどうか。

Slowly the grain of doubt grew, and with it came fear, a light, dancing fear that warned but did not frighten; the kind of fear that one gets not because one is afraid, but because one feels that there is something wrong.

疑惑の種子はゆっくりと成長し、それとともに不安が生じた。警告はするが脅かすほどではない、軽く揺れ動くような不安、なにかを恐れるからではなく、どこかがすっきりしないと感じるところから生じる不安だった。

[コメント]
疑問: ちょっと比喩がわかりにくいが。
私見: dancing は「心理的に揺らめく」の意味だろう。warnfrighten ともに自動詞「警鐘を鳴らす」、「怯える」。
直訳は「
警鐘を鳴らしはするが、怯えてはいない、ちょっとした心理的に揺らめく懸念」。
これでもわかりにくい。
frighten は目的語が略された他動詞(人を怯えさせる)ととれないか?だとすると「何か胸騒ぎみたいのものが心に生じるが、それは別に身に危害を感じるほどのものではない」と読めるが…。
With two arms and one leg, he crawled over towards the window. He would reach forward as far as he could with his arms, then he would give a little jump and slide his left leg along after them. Each time he did it, it jarred his wound so that he gave a sort grunt of pain, but he continued to crawl across the floor on two hands and one knee. When he got to the window he reached up, and one at a time he placed both hands on the sill. Slowly he raised himself up until he was standing on his left leg. Then quickly he pushed aside the curtains and looked out.

二本の腕と一本の脚で、窓のほうへ這って行った。両腕をできるだけ遠くへのばしておいて、ひょいと左腕を持ちあげ、腕のほうへ引きつける。そのたびに傷口が圧迫され、思わずかすかな苦痛の呻き声を洩らしたが、二本の腕と片方の膝で床を這い進んだ。窓に辿りつくと、のびあがって片方ずつ手を敷居にかけた。腕の力でゆっくりと体を引きあげて、左脚一本で立った。それからさっとカーテンをかきわけて外をのぞいた。

[コメント]
疑問: one at a time は「片方ずつ」でよいのだろうか。
私見: 前半部は英語を読むよりわかりやすく訳されていて、感心する。後半部、ふつう、こんな状態で伸びあがったら「いっぺんに両手をつく」はずだと思うが…。ランダムハウスに one at a time で「一度に一つ[一人]ずつ」とある。すると永井の訳でよいのかな。

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