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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書に見る誤訳・悪訳を取り上げ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編から任意に選ぶ。いずれも原文で10ページに満たない短いものだから、読者も自分で訳してみて、この解説を参考に、市販訳との優劣を競ってみてはいかがだろうか。
今回取り上げるのは 『王女マメーリア』(早川書房、田口俊樹訳)より『ヒッチハイカー』THE HITCHHIKER
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ヒッチハイカー
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誤訳・悪訳部分を探したが、ほとんどない。しいてケチをつければ、以下の数か所。
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He was a small ratty-faced man with grey teeth. His eyes were dark and quick and clever, like rat’s eyes, and his ears were slightly pointed at the top.
男は黒ずんだ歯に、鼠のような顔をした小柄な男だった。鼠のような黒くてよく動く、利口そうな眼をしていた。耳は先端が少しとがっていた。
この clever は「利口」から感じられる良い意味でなく、「はしこい」「狡猾そうな」「抜け目のない」「ずるそうな」。 |
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‘The secret of life,’ he said, ‘is to become very very good at somethin’ that’s very very ’ ard to do.’
「人生の秘訣?それは、やるのがすごく難しいことで超一流になることさ」と男は言った。
「…になるための秘訣」とはいうが、「秘訣は…になること」とのコロケーションはよくない。「人生で成功する鍵は」とでもしてはどうか。 |
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He had us where he wanted us and he knew it.
思い通りにわれわれを捕まえたことをよく承知していた。
この前半部、しつこく書けば
He had us in the place in which he wanted us.
=He had us in the place. He wanted us in the place.
(彼は我々に用があるまさにその場所に我々を捕えていた
→望み通りの場所に我々を拘束した)
*haveは、捕えておく。wantは、用がある。 意訳だが、元訳のままでいいだろう。 |
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‘This is real trouble,’ I said. ‘I don’t like it one little bit.’
「面倒なことになったな」と私は言った。「私は警察が大の苦手でね」
前の文からの続く箇所。not 〜 one little bit で、ちっとも…ない。
it は、文中で問題になっていることを指す。ここでは trouble のこと。
「こういうことは苦手なんだ」とでもするか。 |
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‘So ‘ee ‘as. But I’ll bet ‘ee ain’t got it all written down in ‘is memory as well. I’ve never known a copper yet with a decent memory. Some of ‘em can’t even remember their own names.’
「ああ、確かにそんなことをやってたね。でも、賭けたっていいけど、あいつは頭の中には書きとめちゃいないよ。記憶力がいいおまわりなんておれは見たことがない。やつらのなかには、自分の名前を覚えるのも、おぼつかないやつらだっているんだから」
この訳者、I’ll bet と来ると必ず「賭けてもいいけど」と訳す(ほかでも二か所見つけた)が、そんな大げさな意味ではない。「きっと」とするのがよいだろう。 |
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さて、原文10ページでこれぐらいの瑕疵なら充分翻訳商品として合格、といいたいところだが、この程度の訳文なら素人でも出せるのではないか?かねてから、フィクション翻訳者全般に何となく不信感があったのだが、評価基準が甘いのが分かった(拙著『翻訳家になろう!』第6章「商品としての翻訳」参照)。
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それで今回、一般の良質な翻訳志望者とプロ翻訳者との訳文を、本作品冒頭部分で並べてみる。ランダムに並べるので、読者はどれが一番よいか吟味してほしい。
(原文)
I HAD A NEW CAR. It was an exciting toy, a big BMW 3,3 Li, which means 3,3 litre, long wheelbase, fuel injection. It had a top speed of 129 mph and terrific acceleration. The body was pale blue. The seats inside were darker blue and they were made of leather, genuine soft leather of the finest quality. The windows were electrically operated and so was the sunroof. The radio aerial popped up when I switched on the radio, and disappeared when I switched it off. The powerful engine growled and grunted impatiently at slow speeds, but at sixty miles an hour the growling stopped and the motor began to purr with pleasure.
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A訳
新車を手に入れた。ロングホイールの大型BMW、とても素晴らしいやつだ。3,3リッターのエンジンには燃料噴射装置も付いていて、最高速度は時速百二十九マイル、加速もすごかった。淡いブルーの車体には濃いブルーの最高級ソフトレザー張りの座席。電動式の窓と同じく電動式のサンルーフ、伸縮式のアンテナは、ラジオのスイッチを入れると自動的に現れ、切ると消えた。馬力のあるエンジンは低速度ではもう我慢できないというようにグルグルと呻き声を上げるが、時速六十マイルを超えると不快な音は消え、快調なエンジン音を響かせ始めた。
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B訳
私の車は新車である。私の最高のおもちゃだ。大型のBMW3・3Li、すなわち排気量三千三百cc、ロング・ホイールベース、電子燃料噴射式。最高時速百二十九マイル、加速も抜群だ。ボディは薄いブルー、シートはそれより濃いブルーで、最高級の柔らかい純革製だ。窓もサンルーフも電動。ラジオのアンテナまでスウィッチを入れれば自動的に上がり、切れば引っ込むようになっている。低速で走るとパワフルなエンジンがいらだたしげに不平を鳴らすが、時速六十マイルを超したあたりから不平がやんで、今度は満足げに咽喉を鳴らす。
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C訳
新車を買った。わくわくする僕のおもちゃだ。長いホイールベースにフューエル・インジェクション、排気量3300ccの大型車、BMW3,3Li。最高速度は129マイル、加速も最高。車体は淡いブルー、シートは深いブルーで最高級の柔らかい革張りだ。窓とサンルーフは電動式。ラジオのスイッチを入れるとアンテナが飛び出し、切ると元に戻る。パワフルなエンジンはゆっくりと走ると苛立たしげに唸り、速度を60マイルに上げるとうれしそうに快音を響かせる。
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D訳
車を買った。大型車BMW3,3Liの新車。この“玩具(おもちゃ)”には、もう、ぞくぞくしてしまう。排気量3,3リッター、ロングホイールベース、燃料噴射方式。最高時速129マイル(200キロ)、加速も抜群でいうことなし。車体は淡いブルー。座席はダークブルー、柔らかな最高級の本革が使われている。窓もサンルーフも電動だし、ラジオのスイッチを入れれば、アンテナも自動的に作動する。パワフルなエンジンは低速だと、不平がましく耳障りな音をたてるが、時速60マイルに達すると、機嫌のいいネコみたいにゴロゴロいう。
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(私の寸評)
A訳
燃料噴射装置も付いていて:「が」のほうがよいのではないか。
加速もすごかった:現在形の方が臨場感が出そう「加速もすごい」
電動式の窓と同じく電動式のサンルーフ、伸縮式のアンテナは:項目がかわるので、サンルーフのあとはマル(。)にしたらよいのでは。
B訳
大型のBMW3,3Li、すなわち排気量三千三百cc:ここ「すなわち」とつなげていいものだろうか。
純革製:総革製、ではないか
C訳
フューエル・インジェクション:これで読者にわかるか、それとも気分を映しているのでよしとするか。
D訳
機嫌のいいネコみたいにゴロゴロいう:快適さがでていない「喉を鳴らす」としたらどうか。
さて、みなさんの評価は?
*A訳は銀行員のTさん、B訳は本作品のプロ翻訳家、C訳は専業主婦のKさん、D訳は専業主婦のSさん。
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