|
文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書に見る誤訳・悪訳を取り上げ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編から任意に選ぶ。いずれも原文で10ページに満たない短いものだから、読者も自分で訳してみて、この解説を参考に、市販訳との優劣を競ってみてはいかがだろうか。
冒頭に誤りの種別と誤訳度・悪訳度を示したうえ、原文と邦訳、誤訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
今回取り上げるのは、『あなたに似た人』(早川書房、田村隆一・訳)のなかの『音響捕獲機』(THE SOUND MACHINE)
|
|
誤訳度: |
*** |
致命的誤訳(原文を台無しにする) |
|
** |
欠陥的誤訳(原文の理解を損なう) |
|
* |
愛嬌的誤訳(誤差で許される範囲) |
|
|
悪訳度: |
*** |
致命的悪訳(原文を台無しにする) |
|
** |
欠陥的悪訳(原文の理解を損なう) |
|
* |
愛嬌的悪訳(誤差で許される範囲) |
|
|
音響捕獲機
[ストーリー]
クロースナーは音のフェッチ。人間に聞こえない音域に興味を示し、それらの音を感知する機械を作った。花を切るたびに、何か叫びのような音が捉えられる。本格的に試そうと、公園に出て、大きな木の枝を斧で裂いてみた。とその時、ものすごい叫び声とともに、裂けた木の枝が音響機械を押しつぶしてしまった。今となってはあれが植物の叫びだったのか空耳だったのかわからない。クロースナーはおとなしく家路につくのだった。 |
|
|
|
(1)IT WAS A WARM summer evening and Klausner walked quickly through (2)the front gate and around the side of (3)the house and (4)into the garden at the back. He (5)went on down the garden until he came to a wooden shed and he unlocked the door, went inside and closed the door behind him.
ある、(1)むしむしする夏の夕方、クロースナーはいそぎ足で、(2)正面の門をとおりぬけ、(3)その家の横手をまわって、(4)うしろの庭の方へと入っていった。(5)庭へおり、木造の小屋のところまでやってくると、中へ入ってドアをしめた。
(1)形容詞:誤訳**
warm は、of or at fairy or comfortably high temperature で、温度は17〜27度ぐらい。日本人の「温かい」感覚とはちょっと違う(温かい夏、というのもヘン)。たぶんこの小説の舞台英国であれば湿度も低いはず。訳語を変えないと誤解される。
Shall I compare thee to a summer's day. Thou beauty is more modest and more temperate.(君を夏の一日に例えようか、君の美はもっと優しくもっと穏やかだ:シェークスピア)というように、あちらでは夏が親しげなのだ。
evening は、日没から寝るまでの時間帯だが、ここは気分を映せばよいので「夕方」「夕暮れ」でよいだろう。
修正訳:心地よい夏の夕暮れ
(2)冠詞:悪訳*
確かに「正門」と書いてあるが、後を読んでも邸にはみえなし、余計な情報を読者に与えないのがよい。
修正訳:門
(3)冠詞:悪訳*
これも「その」が何か期待させる意味を持ってしまう。自宅なのが分かればよい。
修正訳:家
(4)前置詞:悪訳*
「前の庭」とでも対比されているのか、と感じてしまう。
修正訳:裏庭に入った
(5)前置詞句:悪訳**
この down は「降りる」でなく「ずっと先へ」の意。
修正訳:奥へ進み |
|
|
|
The interior of the shed was an unpainted room. Against one wall, on the left, there was a long wooden workbench, and on it, among a littering of wires and batteries and small sharp tools there stood a black box about three feet long, the shape of a child's coffin.
小屋のなかは、白木のままの部屋になっている。壁の反対側、その左の方にながながとした木製の仕事台があり、その上のワイアーやバッテリーやシャープな工具類のあいだにはさまって、長さ三フィートばかりの黒い箱がおいてあった。ちょうど子供の棺のような恰好の箱だ。
副詞句の並列:誤訳***
二つの副詞句が並列され、本文に掛かっている。against は、もたれて、背にして。
修正訳:左側の壁にくっついて |
|
|
|
The top of the box was open, and he bent down and began to poke and peer inside it among a mass of different-coloured wires and silver tubes.
箱のてっぺんは、ひらいていた。彼は腰をかがめると、いろんな色にぬりわけられたワイアーや銀のチューブのあいだにある、その箱のなかをのぞきこみ、なにか調べはじめた。
前置詞:悪訳*
ここ場面が狭まっている。(poke and peer) inside it > among a mass of different-coloured wires and silver tubes [中を覗く→…の間を]
修正訳:箱の中の色とりどりのワイアや銀の管の間を覗き込みはじめた。 |
|
|
|
Then he put a hand around to the front of the box where there were three dials, and he began to twiddle them, watching at the same time the movement of the mechanism inside the box. All the while he kept speaking softly to himself, nodding his head, smiling sometimes, his hands always moving, the fingers moving swiftly, deftly, inside the box, his mouth twisting into curious shapes (1)when a thing was delicate or different to do, saying, 'Yes... Yes... And now this one ... Yes...Yes. But is this right? (2)Is it ? where's my diagram?... Ah, yes... Of course... Yes, yes... That's right... And now... Good... Good... Yes... Yes, yes, yes.' His concentration was intense; his movements were quick; there was an air of urgency about the way he worked, of breathlessness, of strong suppressed excitement.
それがすむと、彼は、三つのダイヤルがついている箱の前部のあたりに手をもっていって、そのダイヤルを廻しながら、箱のなかの機械の動きを見まもっていた。そのあいだじゅう、自分自身にそっと話しかけ、首をうなずいてみせるようにふったり、ときには、ニヤリと笑ったりするのである。そうして、彼の手は絶えまなく動きつづけ、指はしずかに、器用に箱の中を走りまわり、彼の口は、(1)微妙な、こむずかしい箇所にさしかかると、へんてこな形にねじまがって、こんな具合にささやくのだ?モ謔 オ…ようし…さあ、こんどはこいつだ…よし…よろしい…おっと、これでいいのかな?(2)こいつは、と…おや、おれの図表はどこかいな…ははん、やっぱり、これでよし…ドンピシャリ…よしよし…これでよろしい…さてと…うまいぞ…よしきた…どっこい…オーケー…オーケー…いいぞ、いいぞ>いまや彼の熱中ぶりは最高潮に達し、彼の動作は、いよいよ速くなってきた。そして、その動きまわっている彼の様子には、なにか緊迫した、息づまる空気がひしひしと感じられ、ムウッとした強い興奮の気配がたかまっていった。
(1)形容詞:悪訳**
「こむずかしい」と「箇所」はコロケーションが悪い。
修正訳:微妙に難しい箇所にかかると
(2)強さ:悪訳*
it は前文全体を指す。確かめようとして、図表と照らし合わせることを思いついたのだ。その感じが分かるように訳す。
修正訳:おっと…図表はどこだっけ。 |
|
|
|
‘Well, well, well,’ the Doctor said. ‘So this is where you hide yourself in the evenings.’
「やあ、やあ」と医者は声をかけた、「午後中、こんなところに雲がくれしていたんだな」
名詞:誤訳**
なんで「午後」としたのだろうか。
修正訳:夕方は/するんだな |
|
|
|
‘So it seems.’ The Doctor went to the door, turned, and said, ‘Well, I won’t disturb you. Glad your throat’s not worrying you any more.’
「どうもそうらしいな」医者はドアの方へ歩いて行った。そしてふりかえると、こう言った、「さてと、あんまりあんたの邪魔しちゃ悪いからね。ま、とにかく、喉のおかげで、あんた、苦しまずにすみそうなのはよかったよ」
省略:誤訳**
I’m glad that your throat’s ...の省略形。
修正訳:喉が治ってるようでよかったよ |
|
|
|
‘What’s it really for?’ he asked. ‘You’ve made me inquisitive.’
「ほんとうに、これ、何に使うものなの?」と医者がきいた、「あんたは、わたしをすっかり虜にしてしまったんだよ」
形容詞:誤訳**
直訳は「お前は私を詮索好きにしてしまった」
修正訳:興味深々にさせた |
|
|
|
... ; and now the Doctor, looking at that strange pale face and those pale-grey eyes, felt that somehow there was about this little person a quality of distance, of immense immeasurable distance, as though the mind were far away from where the body was.
いま、医者は、この奇妙な白っ茶けた顔と、薄灰色の瞳をながめながら、この小男のなかに、なにかへだたった茫漠としたもの、まるで身体はここにあるのに、魂は遠く宇宙の外にさまよいあるいているような、はかりしれない放心があるのをみとめないわけにはいかなかった。
比喩表現:悪訳*
これは訳すのが難しい。直訳は「なぜかこの小男の周りにはある種不均衡の特質、莫大な計り知れない不均衡、あたかも精神が肉体が存在している場所から遠く離れているかのような?が存在した。」漠然とした表現なので元訳でもいいかもしれないが、「はかりしれない放心」が前からつながりにくい。
修正訳:なぜかこの小男にアンバランスさ、どうしようもない不安定感を感じてしまう。心と体がバラバラで、互いに離れはるか彼方へ飛んでいってしまっているような。 |
|
|
|
‘I believe,’ he said, speaking more slowly now, ‘that (1)there is a whole world of sound about us all the time that we cannot hear. It is possible that (2)up there in those high-pitched inaudible regions there is a new exciting music being made, with subtle harmonies and fierce grinding discords, a music so powerful that it would drive us mad if only our ears were turned to hear the sound of it. There may be anything... (3)for all we know there may?’
「ぼく、こう思うんですよ」こんどはもっとゆっくりした声音だった。「ぼくたちのまわりには、一年中、ぼくたちのきくことのできない(1)全世界の音がみちみちている。(2)その急テンポで、ききとりがたい範囲には、あたらしくて、すばらしい音楽がつくられているんじゃないか、これは、ありそうなことですよ。じつに微妙なハーモニイと、おそろしくキンキンした不協和音とを伴った音楽、ものすごく強力な、もし、ぼくたちの耳が、その音がきこえるように調整されたとしたら、きっと気が狂ってしまうような音楽です。たしかにあるんだ。…(3)だれだって、想像できる」
(1)名詞句:誤訳**
whole は、丸ごと、の意で world を強調。
修正訳:音に満ちた世界がある
(2)名詞句:悪訳*
直訳は「そっちの聞き取れない高音域の地帯では」。up (上に)、there (あちら)ともに副詞で、場面を狭める。up > there。
修正訳:そこの高音域の世界では
(3)慣用句:誤訳**
for all we know は、意外な可能性の指摘を前触れする表現。「どうでもよいことだが」「いってみれば」
修正訳:ことによったらですね |
|
|
|
‘You see that fly? What sort of noise is that fly making now? None?that one can hear. But (1)for all we know the creature (2)may be whistling like mad on a very high note, or barking or croaking or singing a song. It’s got a mouth, hasn’t it? It’s got a throat?’
「あそこに、蠅が見えますね?ま、あの蠅はどんな音を出しているでしょう?だれひとりとして?そうです、だれにだって、それは聞こえるものじゃない。しかしですよ、(1)ぼくたちは、その音が非常に高い音階で、猛烈にひゅうひゅう音を立てている、もしくは吠えてるか、ガアガアいってるか、あるいは歌でもうたっている(2)にちがいないと思っているんです。あの蠅には、口があるんですからね、そうじゃないですか?喉だってあるんですよ!」
(1)慣用句:誤訳*
前掲の説明と同じ。
修正訳:でもいいですか
(2)助動詞:悪訳**
may は、可能性。
修正訳:かもしれません |
|
|
|
The little needle crept slowly across the dial, and suddenly he heard a shriek, a frightful piercing shriek, and he jumped and dropped his hands, catching hold of the edge of the table.
ちいさな針は、ゆっくりとダイヤルの上をすべってゆく、と、突然、彼はひとつの叫び、身の毛もよだつ、あのつきさすような叫びをきいた。思わず彼はとびあがり、テーブルのはしをつかもうと手をおろした。
冠詞:誤訳**
「あの」の指すものが前後にみつからない。この a は、「ひとつの」という数と「ある」という不定の種類を示している。
修正訳:トル |
|
|
|
He put his hands on top of the fence and peered at her intently through his thick spectacles.
彼は垣根に手をかけると、余念なさそうに眼鏡の奥から、彼女をのぞきこんだ。
副詞:誤訳**
「余念」は他の考えがないこと。誤用。
修正訳:きつく |
|
|
|
*お知らせ*
こんな文章でも読んでくださる方々が多少はいるようでうれしい限り。
ずっと前の第30回『英文をいかに読むか』の書き出し部分
(朱牟田の解説) 念のため書き添えると、上の文では文頭のItは2行目の that there is so much ...以下をさすので、全体の意味は大体次のようになる。
で、「全体の意味」が省かれているので、示してほしい旨の、読者からの要望があった。ここは、it 〜 that でなく、強調構文だと説明する部分なので「全体の意味」自体は必要ないと省いたのだが、ご要望に応え、以下朱牟田のいう全体の意味を、そのまま掲載する。
⇒年々いくつかの書物に与えられる賞を得ようとして、あるいは、作家の経歴に栄誉の刻印を印するだけでなく、その人の市場価値をも高める結果になる芸術院などのどれかに入れてもらおうとして、非常に熱をわかしたり非常な暗躍がおこなわれたりするのは、作家の得る金銭的報酬が非常にすくないからである。 |
|
|
|
|
|
|