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第20回 (3月上旬・下旬合併号) アントラクト(幕間)
by 柴田耕太郎
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 ロアルド・ダールの短編小説における誤訳をずっと見てきたが、多少は読者の皆さんの他山の石になったことと思う。
 このあとも手元のTHE COLLECTED SHORT STORIES OF ROALD DAHL(PENGUIN)全編を市販訳と比べてゆくつもりだが、やっているとズバリ誤訳・悪訳と指摘できる部分以外に、いくつにもとれそうな部分がたまにある。原文が曖昧だからと言いたいところだが、もしかしたら自分の読む力が足りなくてそう思っているだけなのではないかと、不安になることもある。だからこそ、文法力と論理力を一層磨かねばならないと肝に銘ずるのだ。
 今回、原文があいまいと思われる箇所を二つ取り上げ、検討する。いずれも上記の本のなかの短編Parson's Pleasureからのもの。ページとラインは原文のもの。訳文は『キス・キス』(早川書房・開高健訳)所載の『牧師のたのしみ』。
1 原文が多義である
p 50、 l 6

He decided to take the Queen Anne first, the house with the elms. It had looked nicely dilapidated through the binoculars. The people there could probably do with some money. He was always lucky with Queen Annes, anyway.

まず、楡の木にかこまれた、例のアン女王時代風の家からはじめることに決めた。望遠鏡で見ると、その家はおそろしく荒れはてている。住んでいる人間はおそらく、なにがしかの金でも欲しいだろう。わしはアン女王時代風の家にでくわすといつも運がいい。

[解説]
 ロンドンの骨董商であるボギスが、牧師に変装して田舎の旧家に眠っている家具の名品を発掘しようと、行動にかかる場面。 アン女王(1665−1714)は在位1702−14。ステュアート朝最後の王。ここの
the Queen Anne は「アン女王朝スタイル」を指し、石と煉瓦を組み合わせた質素な建築様式のこと。
 分りにくいのは
could do with〜 の箇所。ジーニアス英和辞典には成句として
(1) cannot[couldn’t] do with O(doing)<手に入る物・事/人が…すること>に我慢できない[できなかった]
(2) [do with O]…で満足する、すます
(3) [can [could] do with O]」<物・事>があればありがたい、欲しい、必要である(=would be glad to have)
(4) <人・物・事>を扱う、処理する

 とあり(1)以外の3つは訳文が成立しそうだ。

 すると、
(2)
そこにいる人々はいくらかの金で満足できた (過去の事実)
そこにいる人々はいくらかの金で(もし手に入れば)満足できるはずだ(仮定法)
(3)
そこにいる人々はいくらかの金をありがたがった (過去の事実)
そこにいる人々はいくらかの金が入ればありがたがるはずだ (仮定法)
(4)
そこにいる人々はいくらかの金を扱うことができた (過去の事実)
そこにいる人々はいくらかの金を(もし機会があれば)扱うことができるはずだ (仮定法)
と合計六通りの訳文が生まれうる。
 このなかから前後の文脈からつながりやすいものを選ぶと②か④ということになるが、②も④もさして意味は変らないから、どちらでもよいことになる。
 だが、イディオムでなく個別の単語の意味に分解し、それを繋げた場合の訳文も考えられるだろう。
do:なんとかやってゆく(暮らしてゆく)、with:…でもって。そうすると、⑦そこにいる人々はいくらかの金でもってなんとか暮らして行けるのだろう(仮定法)。また、⑧そこにいる人々はいくらかの金でもってなんとか暮らしていくことができた(過去の事実)。⑧はまずいが⑦は使えそうだ。

 そこで結論。
 自分が家具の代金をそこそこ出してやれば、という気分が含まれていると感じれば④、「つましい暮らしをしている一般農家に対する感懐を感じれば⑦、ということになるだろうか。原文と対照させた訳文の「金でもほしいのだろう」はあいまいな訳だが、原文も曖昧だし、読者が気にならなければ、これでいいいかもしれない。
2 原文が破格である
p 60、 l 13

There were six drawers in all, two long ones in the middle and two shorter ones on either side. The serpentine front was magnificently ornamented along the top and sides and bottom, and also vertically between each set of drawers, with intricate carvings of festoons and scrolls and clusters. The brass handles, although partly obscured by white paint, appeared to be superb.

抽斗は全部で六つあり、まんなかの二つは長く、両側に短いのが二つずつついている。箪笥のねじれたようなフロントは、上下左右、抽斗のあいだの垂直のあきと、花づなや渦巻きや花の房の精緻な彫刻で、目もあやな装飾が施してある。真鍮の把手は、白ペンキで隠れているところもあるが、とびきりのものらしい。

[解説]
 ボギスが一軒の農家に見つけたお宝の描写箇所。 訳文は「垂直のあきと」の「あきと」が「空き、そして」なのか「空いている部分といった具合に」の意味なのかがあいまい。前者では意味が繋がらないから後者ととるが、このように読者に二度読みさせる、または解釈をさせる文は、少なくともエンターテインメントの分野ではよろしくない。
 そもそも原文自体が読みにくいのだが、それは
ornamented A and Bの並列で、AとBのバランスが均等でないため。A=along the top and sides and bottom、B=also vertically between each set of drawersalong between を軸とする前置詞句の並列だが between の方はその前に also vertically という副詞句(ornamented に掛かる)があって、これが並列のバランスを崩している。つまり ornamented A and M Bの形になっていて、前後の平衡を重んずる由緒正しき並列の考え方からすると、一種の破格ということになる。 with 以下はその前にカンマがあるところからして、前の drawers でなく ornamented に掛かるとするのがよい。これは定石通り。
 ついでに訳文でもう一つ気に掛かるのは「とびきりのものらしい」。これでは伝聞のように響いてしまう。ここは
appear (…であるように見える《実はそうではないかもしれないが、を含意することもある》)とあるのだから、「とびきりのもののようだ」とするのがよいだろう。
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