ロアルド・ダールの短編小説における誤訳をずっと見てきたが、多少は読者の皆さんの他山の石になったことと思う。
このあとも手元のTHE COLLECTED SHORT STORIES OF ROALD DAHL(PENGUIN)全編を市販訳と比べてゆくつもりだが、やっているとズバリ誤訳・悪訳と指摘できる部分以外に、いくつにもとれそうな部分がたまにある。原文が曖昧だからと言いたいところだが、もしかしたら自分の読む力が足りなくてそう思っているだけなのではないかと、不安になることもある。だからこそ、文法力と論理力を一層磨かねばならないと肝に銘ずるのだ。 今回、原文があいまいと思われる箇所を二つ取り上げ、検討する。いずれも上記の本のなかの短編Parson's Pleasureからのもの。ページとラインは原文のもの。訳文は『キス・キス』(早川書房・開高健訳)所載の『牧師のたのしみ』。
1 原文が多義である
p 50、 l 6
He decided to take the Queen Anne first, the house with the elms. It had looked nicely dilapidated through the binoculars. The people there could probably do with some money. He was always lucky with Queen Annes, anyway.
[解説] ロンドンの骨董商であるボギスが、牧師に変装して田舎の旧家に眠っている家具の名品を発掘しようと、行動にかかる場面。 アン女王(1665−1714)は在位1702−14。ステュアート朝最後の王。ここの the Queen Anne は「アン女王朝スタイル」を指し、石と煉瓦を組み合わせた質素な建築様式のこと。 分りにくいのは could do with〜 の箇所。ジーニアス英和辞典には成句として
(1)
cannot[couldn’t] do with O(doing)<手に入る物・事/人が…すること>に我慢できない[できなかった]
(2)
[do with O]…で満足する、すます
(3)
[can [could] do with O]」<物・事>があればありがたい、欲しい、必要である(=would be glad to have)
There were six drawers in all, two long ones in the middle and two shorter ones on either side. The serpentine front was magnificently ornamented along the top and sides and bottom, and also vertically between each set of drawers, with intricate carvings of festoons and scrolls and clusters. The brass handles, although partly obscured by white paint, appeared to be superb.
[解説] ボギスが一軒の農家に見つけたお宝の描写箇所。 訳文は「垂直のあきと」の「あきと」が「空き、そして」なのか「空いている部分といった具合に」の意味なのかがあいまい。前者では意味が繋がらないから後者ととるが、このように読者に二度読みさせる、または解釈をさせる文は、少なくともエンターテインメントの分野ではよろしくない。 そもそも原文自体が読みにくいのだが、それは ornamented A and Bの並列で、AとBのバランスが均等でないため。A=along the top and sides and bottom、B=also vertically between each set of drawers。along と between を軸とする前置詞句の並列だが between の方はその前に also vertically という副詞句(ornamented に掛かる)があって、これが並列のバランスを崩している。つまり ornamented A and M Bの形になっていて、前後の平衡を重んずる由緒正しき並列の考え方からすると、一種の破格ということになる。 with 以下はその前にカンマがあるところからして、前の drawers でなく ornamented に掛かるとするのがよい。これは定石通り。 ついでに訳文でもう一つ気に掛かるのは「とびきりのものらしい」。これでは伝聞のように響いてしまう。ここは appear (…であるように見える《実はそうではないかもしれないが、を含意することもある》)とあるのだから、「とびきりのもののようだ」とするのがよいだろう。