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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された 『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画「007は二度死ぬ」の脚本家でもあるロアルド・ダール (Roald Dahl)の短編集「キス・キス」(KISS, KISS)。全11編を月二回、一年かけて点検してゆく。俎上に乗せる邦訳は開高健・訳『キス・キス』(早川書房)。
冒頭に誤りの種別と誤訳度を示したうえ、原文と邦訳、誤訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、
解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
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誤訳度: |
*** |
致命的誤訳(原文を台無しにする) |
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** |
欠陥的誤訳(原文の理解を損なう) |
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愛嬌的誤訳(誤差で許される範囲) |
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誕生と破局
[ストーリー] ドイツの国境に近い町で、一人の男の子が生まれる。母親にとっては4人目の子だが、これまでは皆幼くして亡くなってしまっていた。健やかに育ってと母親は祈るような気持ちだが、様子を見に来た酔っ払いの税官吏の夫は、子供の小ささを指摘する。見るに見かねた医者がふたりの仲をとりもち、子供の未来をともに祝福するようにと諭す。さてその子とは、のちのヒトラーなのであった… |
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●副詞:* |
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His voice was miles away in the distance and he seemed to be shouting at her.
なんマイルも遠くからつたわってくる声だが、そのくせ彼は、女をどなりつけているような気がした。
[解説]
miles は名詞だが副詞的に働き「遥かに」。away は「離れて」。in the distance は「遠くに」。意味の似た言葉を重ねて気分的な遠さを示しているので、実際に遠方から声がしたわけではない。
修正訳 |
彼の声はずっと離れたところにあって、彼女をどやしているようだった。 |
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●形容詞:** |
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And she was very sad.
それにまた、非常に哀れでもあった。
[解説]
やさしそうな単語にこそ配慮が必要。she 本人が「悲しい状態」なのでなく、人から「悲しく見える」のだ。しつこくいえば「悲しみを誘う」こと。
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●動詞:**、 ●形容詞:** |
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Also there was a rumour that this was the husband’s third marriage, that one wife had died and that the other had divorced him for unsavoury reasons.
前の細君は、ひとりは死に、もうひとりはつまらないことから離婚してしまったというのである。
[解説]
divorce は「…と離婚する」(彼を離婚したわけではない)。unsavoury reason(s) は「まともな感じのしない」(unpleasant or morally unacceptable)こと。「訳ありの」「よからぬ理由で」など。
修正訳 |
これが三度目の結婚で、前の一人とは死に別れ、もう一人とは訳ありの理由で別れた、との噂があった。 |
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●形容詞:** |
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But he was always ill.
でも病気ばかりしている子でした。
[解説]
「いつも病気」より意味範囲を広くとったほうがよい。「病気がち」「いつも具合が悪い」。
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●強調:* |
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But the small ones are often a lot tougher than the big ones.
しかし柄は小さくても、柄の大きな赤ん坊よりはるかに芯が強いですからな。
[解説]
ones は「赤ん坊」。a lot は名詞だが副詞的に働き「ずいぶん」「大層」。
一般論をいっている。「小さくても」では、特定の赤ん坊をいっているように聞こえる。
修正訳 |
でも小さい子は大きい子より丈夫なことが多いですからな。 |
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●名詞:* |
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‘You must forget about the others, Herr Hitler. Give this one a chance.’
「ほかのお子さんのことはみんな忘れなさい、ヒットラーさん。このお子さんにだって希望はあるんですよ」
[解説]
この chance は「機会」の意。例:Give me a chance!(私にやらせてください)。
修正訳 |
他のお子さんのことは忘れなさい、ヒットラーさん。この子の可能性を見てやってください。 |
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■表現 |
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今回、誤訳が少ないので、あやしい表現もいっしょに取り上げます。 |
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●文のねじれ: |
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‘Your baby is being made to look pretty for you,’ the doctor said.
「赤ちゃんはね、あなたに見てもらうために、きれいにしているところですよ」と医者はいった。
[解説]
「…見てもらうために、」の前後で主語が違っている(前は赤ちゃん、後は関係者)ので、統一する。
修正訳 |
赤ちゃんはね、きれいにされて、あなたにこれから見てもらうんですよ。 |
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●人名の呼び方: |
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‘My little girl was called Ida. She died a few days before Christmas. That is only four months ago. I just wish you could have seen Ida, Doctor.’
「娘はアイダといいました。その子はクリスマスの二、三日前に亡くなりました。それも、四ヶ月前のことですわ。アイダを先生にお見せしたかったですわ」
[解説]
人名、地名は現地語読み。
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●指示語: |
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‘When she died---I was already pregnant again when that happened, Doctor.’
「あの子が死んだとき---わたしがまた妊娠したとき、あんなことになったのです、先生。」
[解説]
元訳では「あの子が死んだとき」=「わたしがまた妊娠したとき」に、「何か(あんなこと)が起こった」と読めてしまう。
修正訳 |
あの子が死んだとき---それが起こったとき、私はすでに再び妊娠していました。 |
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●近親語: |
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‘I don’t know. I’m not sure. I think my husband said that if it was a boy we going to call him Adolfus.’
‘That means he would be called Adolf.’
‘Yes. My husband likes Adolf because it has a certain similarity to Alois. My husband is called Alois.’
「わかりませんわ。はっきり存じません。主人の話ではもし男の子ならアドルフスにしようということだったと思いますわ」
「するとアドルフというわけですな」
「はい。主人はアドルフという名前が好きなんです、アロイスにいくらか似ているんで。主人はアロイスという名前なんです」
[解説]
元訳では名前相互の関係がわからない。Adolf は「狼」の意味で、高貴さをイメージする。Adolfus はその異名。Alois はそれらに響きが似ている。こういった情報を会話に盛り込まねば、読者は戸惑ってしまう。
修正訳 |
「さあ、どうでしょうか。主人は、男の子だったらアドルファスとつけよう、と言ったと思います。」
「すると、アドルフって呼ばれるんですね」
「はい。アドルフは、アロイスに似た感じがあるので、主人は好きなんです。主人は、アロイスって名前なんです。」 |
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●色: |
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A small man in a dark-green uniform stepped softly into the room and looked around him.
濃い緑の制服を着た小男がそっと部屋に入ってきて、ぐるりと見まわした。
[解説]
色の感じ方は日欧な微妙に異なる。日本は青が緑の上位概念(青信号:緑。青リンゴ:緑)だが、欧米では緑が青の上位概念(The light went green. 信号が青になった green field 青々した野原)。
修正訳 |
濃い青の制服を着た小男が、そっと部屋に入ってきて、まわりをぐるっと見回した。
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●テニオハ: |
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‘Every day for months I have gone to the church and begged on my knees that this one will be allowed to live.’
「何ヶ月も、毎日、教会に行って、この子に永生きさせてくださいとひざまずいておねがいしたの」
[解説]
「この子」が、何かを「長生きさせる」わけではあるまい。
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