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discussion :「論議」では「話し合い」に力点がゆく。ここは「論議して、絞ってゆく(talk about something in order to reach a decision)」の意味→「検討」
further「さらに(遠くに、先へ)」は副詞としての意味。ここは動詞で「…を促進する」→トル
will be furthered :「おし進められるべきである」だと will は義務を示すと理解しているようだが、そういう用法はない(命令、指図で You will leave tomorrow. 明日出て行け、となることはあるが)。これは単純未来(もっというと確信的未来で、筆者が確実にそうなると思っていることを言うのに使う)。または、現在の慣習(そうなるものだ)ととってもよいだろう→「おし進められるものである」
訂正訳 |
見かけと実際との差異の理解は観察の本質を検討することにより促進される |
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2. |
これは典型的な悪しき直訳で、意味がわからない。強いて和文和訳すれば「観察の結果に対し正しい見方をすることで明らかに得られる諸効果を(わざわざ)書き留める必要は(浅い哲学、浅い物理学と違って?) 深い哲学、深い物理学には不要である」ということか。
There is はこれから言いたいことが出てきますよ、といった指標で、あまり意味はない。
ここは、
Any deep philosophy or physics is not required to note the obvious effects of perspective on the results of observation. さらに平叙文にして We do not require any deep philosophy or physics to note the obvious effects of perspective on the results of observation. と言い換えられる。「観察の結果に対する視座の明らかな効果を記すのに、何ら深遠な哲学も物理学も必要でない」。深遠な哲学、物理学の属性をいわんとするのでなく、観察者の位置・立場が決する影響力の説明に大げさな学問はいらない、といっているのだ。
訂正訳 |
観察の結果に及ぼす視座の明らかな影響を記すのに、どんな深遠な哲学であれ物理学であれ、必要とされない。 |
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3. |
訂正訳 |
双方の距離が離れているがゆえに、ハイキングの友が山と同じ大きさに見えることもある。 |
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4. |
「でも」は口語的→「だが」
訂正訳 |
だが私達は山のほうがはるかに大きいことを知っている。 |
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5. |
「あなた」は直訳的で、日本語として不自然→「自分」(三つ目の「あなた」はなくともわかるので、トル)
perspective 「配置」の訳語はあいまい。ここは a point of view 「視点、視座」の意味→「視座」
the scenery and your friend grow and shrink and change size even with respect to each other. で、 grow, shrink, change size even with respect to each other が1 and 2 and 3 の形( and の前後の各名詞を強調)で並列。even は with 以下を強調(一つ一つに対してだけでなく、相互においても、の意)。元訳は1、2の結果3になる、の意味にとっていて並列の理解が正しくない。また shrink は grow との対比で用いられているのだから「縮んだり」ではなく「小さくなり」としたほうがよい。
訂正訳 |
この場合の見かけと実際との差異を認識する手がかりのひとつは、自分が移動し視座を変えるにつれ、背景と友人とは大きくなったり、小さくなったり、その相互間でさえ大きさを変えたりすることになる、という事実である。 |
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6. |
circumstances を「事情」では「精神的・物質的理由」のようにとれてしまう。ここは
perspective の言い換えだが、「事情」の要素も確かに入っていそうだ。そこで「視点」「事情」両方を包含するような訳語を選ぶ→「状況」
訂正訳 |
観察は明らかに観察者の状況により影響されるのであり、だから自分が眼にするものはいくぶんか自分次第で決まるということになるのである。 |
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7. |
way を「方法」一辺倒の訳語にすると、意味が伝わらなくなることがある。ここもそう
→「在りよう」。前の部分 way を「見方」とした理由がわからない( you see からの連想?) が、これも「在りよう」で統一するのがよい。
訂正訳 |
自分の目に入るものは、そのもの本来の在りようではなく、自分の視座からみた場合のそのものの在りようなのである。 |
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8. |
look away, look back を「追想する」との訳語を充てているが、素直に「目をそらす」
「振り返る」でよい。perception は「知覚、認識、理解、眼力、鑑識、見識」などいろいろに訳せるやっかいな単語。だがこれも広い意味では observation の言い換え。observation の訳語とズレが大きく生じないような訳語を心がける→「認識」。episodic を「エピソード的」とするのは如何なものか。抽象的に転化した意味の「気まぐれな」を採りたい。
訂正訳 |
認識もまた、自分が眼をそらすと相手は消え、眼を戻すとまた現われるなどといった意味合いにおいて気まぐれである。 |
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9. |
in this way は「この意味では」でない→「この点」
訂正訳 |
しかし現実にあるものはこんな風に気まぐれではない。 |
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10. |
訂正訳 |
棒を半分水に浸した時、実際には折れ曲がってはいないのと全く同様に、人も山も、存在が消えたり、現われたりはしないのである。 |
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意訳---(ア)(イ)部分 |
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自分が目にしているものは、そのもの本来の姿ではなく、自分の視点からみえる物の姿なのである。向こうに目をやったら、見えていた友人が消えた。後ろを振り返ったら再び目に入った、というのと同様、知覚も一面的なのである。だが実在というものは、こんな風に一面的ではない。水の中に半分浸しても、木の棒は実際には曲がっていないのとまさに同じく、人間も山並みも存在が消えたり生じたりのブレを生じることはないのである。 |
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