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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された 『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画「007は二度死ぬ」の脚本家でもあるロアルド・ダール (Roald Dahl)の短編集「キス・キス」(KISS, KISS)。全11編を月二回、一年かけて点検してゆく。俎上に乗せる邦訳は開高健・訳『キス・キス』(早川書房)。
冒頭に誤りの種別と誤訳度を示したうえ、原文と邦訳、誤訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、
解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
今回は『ビクスビー夫人と大佐のコート』の表現があやしい部分を取り上げる。 |
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ビクスビー夫人と大佐のコート
[ストーリー]
ビクスビー夫人はニューヨーク在住の歯科医の妻。月に一度、伯母の介護という名目でボルチモアに出かけ、そこで「大佐」と呼ばれる渋い中年男と逢瀬を楽しんでいた。やがて別れがやってきてが、手切れ金代わりに高価なミンクの毛皮をもらったビクスビー夫人は、質札を拾ったことにして夫への説明を切り抜けようとする。ところが、夫のほうが一枚上手だった…。 |
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●言葉の幅 |
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There is one, however, that seems to be superior to the rest, particularly as it has the merit of being true.
けれどもひとつだけ、とくに真実という長所があるので、ほかの物語よりもすぐれているように思われる話がある。
[解説]
パブロフの犬みたいに true とくると「真実」と訳すのが、プロ・アマを問わずよく見られる。
だが true の幅は広い。「ありのまま」「…そのまま」とするとピタッとくることが結構ある(true to life ありのままの人生、人生そのまま)。
ここは「真実」とすると、あいまい、あるいは大げさに響くところ。「事実」「本当」の語を当てるとよさそう。
修正訳 |
「事実であるという長所」「実話だという取り柄」。 |
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●難字 |
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---that there was little or no chance of their growing bored with one another. On the contrary, the long wait between meetings only made the heart grow fonder, and each separate occasion became an exciting reunion.
それどころか、尾生の辛さがひたすら恋しい気持をつのらせ、おたがい、はなれて暮らしていることが、心ときめく再会とはなった。
[解説]
「尾生」を「びせい」と読める人がどれくらいいるだろうか。まして、言葉の意味を知っている人は。とくにこれはエンタテイメントなのだ、一般人の教養の程度に訳文もあわせねばならない。
修正訳 |
「会う約束」それでは情緒がないというなら「またの逢瀬」。 |
*参考:尾生の信(広辞苑より)
荘子(尾生が女と橋の下で会う約束をしたが女は来ず、大雨で増水してきたのに待ちつづけ、ついに溺死したという故事に基づく)固く約束を守ること。愚直なこと。 |
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●他動詞 |
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I’d almost forgotten how ravishing you looked. Let’s go on earth.
「わたしはきみのうっとりするような姿を忘れかけていた。さあ、夢からさめよう」
[解説]
このままだと、「君自身がうっとりする」ようにとられかねない。他動詞の現在分詞形の形容詞は「ひとを…させる」の意味だから、「ひとをうっとりさせる」
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●語義、●掛かり方 |
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; and even a man like Cyril, dwelling as he did in a dark phlegmy world of root canals, bicuspids, and caries, would start asking a few questions if his wife suddenly waltzed in from a week-end wearing a six-thousand-dollar mink coat.
根管、二頭歯、虫歯といった暗い、無気力な世界に住んでいるとはいっても、たとえシリルのような男でも、自分の妻が六千ドルもするミンクのコートを着て週末の旅行から踊るような足どり帰宅したとすれば、あれこれと質問してくるだろう。
[解説]
phledgmy は、本来慌てるような時でも変わらずにいること、だから「無気力な」ではまずい。人間なら「冷静な」だが、ここは世界をいっているので訳語を工夫する。
つづく箇所、日本語の掛かり方がわかりにくい。「…ても」「…でも」のように両方が強調される場合は、並列が自然に読めるものでなくてはならない。例:雨が降っても、休みの日でも、彼は会社に出かける。ここがおかしいのは、「…ても」の部分はシリルの状況、「…でも」の部分はシリル自身をあげており、並列されるべきものが適当でないことから起こっている。。
修正訳 |
「(無感動の世界)に住んでいるシリルのような男でも」。 |
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●言葉のつづき具合 |
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But the thought of parting with it now was more than Mrs Bixby could bear.
しかし、これを手離すかと思うと、ビクスビー夫人には到底耐えられなかった。
[解説] 「には」を生かすなら、「ビクスビー夫人には苦痛しか浮かばなかった」のようにする。
直訳は「だが、それを手離すという考えは、ビクスビー夫人が耐えることのできる以上のものだった」。
修正訳 |
「だがこれを手離すのかと思うと、ビクスビー夫人は耐えがたかった」 |
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●イディオム |
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‘I’ve got to have this coat!’ she said aloud.
「ぜがひでもこのコートを持っていなければ!」と彼女は思わず大声が出た。
[解説]
これは誤訳に分類した方がよいかもしれない。say aloud は「声に出して言う」。 say loud が「大声でいう」。
修正訳 |
「思わず声が出た」または「夫人は思わず口にした」 |
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