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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。 そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳・悪訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。今回は趣向を変えて英語読解指導書『英文をいかに読むか』(朱牟田夏雄著、文建書房)を取り上げる。
この著者は東大の教養の英語教師であり、訳書、英語指導書もずいぶんとある。この本の巻頭にも「英文の解釈あるいは英文和訳というのは、与えられた英文の意味を理解して、そして多くの場合、その理解した意味を日本語で言いあらわすことである」「この種の文章は、全体が何を言おうとしているのかをしっかりつかんで、よく意味の通ずる訳文になるように心がけてほしい。安易な逐語訳は感心しない」と私たちが肝に銘ずべき英文読解の基本を示してくれている。前回取り上げた『英語のセンスを磨く』の著者、行方昭夫の師匠でもあり、行方は別の英語指南書で「東大教養科で朱牟田夏雄先生に習った英文精読の方法を、本書に生かしたい」旨、述べている。受験英語業界の有名人である薬袋某氏の著書にも、この『英文をいかに読むか』が推薦されており、以来受験参考書のコーナーにこの本が平積みになった。 だが、私にはあまりよい本には思えない。手本にして学ぶには、誤訳・悪訳が多すぎるのだ。いくつか代表的な瑕疵を見てゆきたい。
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p51 <2>
My view of history is itself a tiny piece of history; and this mainly other people’s history and not my own; |
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(朱牟田の訳)
私の歴史観は、それ自身が一つの小さな歴史だといえる。その歴史も、主として他の人が作ってくれた歴史で、私自身の作った歴史ではない。
[私のコメント]
世界的歴史家、アーノルド・トインビーが一般読者向けに書いた『文明としての歴史』の冒頭部分。下手な哲学書の翻訳みたいで、何を言いたいのかわからない。history の訳語に問題があるからだ。law に(1)法律 (2)法学 の二つの意味があるように、history には(1)歴史 (2)歴史学 の意味があり、ここは(2)。
トインビー史学、トインビー史観などといわれるが、自分の歴史学は歴史学全体からみれば、ほんの一部分なのだ、と謙遜していっているところ。「歴史」を「歴史学」と代えただけで、言わんとすることが最低わかるだろう。
改訳①(直訳): |
私の歴史観はそれ自体が、歴史学のささやかな一個である。そしてこの歴史学というものは主として他の(歴史家の)人々の(つくってきた)歴史学であって私自身の歴史学ではない。
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改訳②(意訳): |
私の歴史の見方そのものが一個の歴史学であるとはいえよう。だが学問としての歴史総体は多くの人たちが築いてきたもので、私ひとりのものではない。 |
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p57 <4>
I injured some, but since I could not repair the injuries I had done I have tried to make amends by benefiting others.
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(朱牟田の解説)
since I could not この could は仮定法ととる、「やりたいと思ってもやれないから」。ただし「出来なかったから」と単純な過去にとることも可能と思う。
[私のコメント] 作家、サマセット・モームが70歳の時に書いた文章。「昔、人を傷つけたことは取り返しがつかないので、今は人に善くしてそれを挽回するよう心がけている」といった趣旨の文章の一部。 ここ断定できないが、「出来なかった」(過去においてそういう能力がなかった)と素直にとるのがよいのではないか。朱牟田のように仮定法ととる場合だが、普通に「現在の反実仮想」(仮定法過去「現在、やろうと思ってもできないので」)なのか、時制の省略で「過去の反実仮想(仮定法過去完了「その時、やろうと思ってもできなかったので」なのか、あいまいになる。
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p62 <6>
As I grow older I am more and more amazed to discover how great are the differences between one man and another.
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(朱牟田のコメント)
これも同じ1901年、27歳の時の文章である。As I grow older などと老成じみたことをいっているのが面白い。
[私のコメント]
これもモームの文章から。 grow older とは「歳をとる」ことだが、「年寄りになる」とは限らない。赤ん坊が幼児になるのにも使うのだ。27歳の青年が、前の自分に比べて grow older といっても、「老成じみたことをいって」いるわけでない。皆さんも、こんな易しいことばの訳で、恥をかかないようにご注意。
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<p70>
Why novels and plays are so often untrue to life is because their authors, perhaps of necessity, make their characters all of a piece.
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(朱牟田の訳)
何故小説や脚本が人生を真に写していないことが多いかというと、それはその作者たちが、事によるとやむを得ずにかと思うが、その作中人物を終始一貫した性格のように描くからである。
[私のコメント]
この true は「真実の」でなく「ありのままの」の意味。 ちょっと考えていただきたい。優れた作品(例えば渥美清主演の『寅さん』シリーズ)は「ありのまま(そっくりそのまま)」ではないが「人生の真実」を写しているからこそ、感動を与えるのである。朱牟田の訳では、筆者モームの考え方が伝わらなくなってしまう。これが翻訳の恐いところ。
perhaps は(1)確率40%ぐらい「ひょっとすると」 (2)次に来る強い言葉を緩和する役割で、「おそらく」の訳語を得る (3)そういうことがあるのを示すだけで、確率については言わない、のうちここは(2)。ここでの of necessity は「止むをえず」ではなく、「必然的に」。
訳は「おそらく必然的に」→「当然とはいえようが」ととるのが順当だろう。
(直訳): |
小説と戯曲がかくも頻繁に実人生を映していないのは、それを書く作家がたぶん必然的にその描く登場人物たちを首尾一貫したものにしてしまうからだろう。
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(意訳): |
小説や戯曲にうそがあるのは、当然のことながら、作者が登場人物を首尾一貫したものに描くからだ。 |
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