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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書に見る誤訳・悪訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編から任意に選ぶ。いずれも原文で10ページに満たない短いものだから、読者も自分で訳してみて、この解説を参考に、市販訳との優劣を競ってみてはいかがだろうか。
冒頭に誤りの種別と誤訳度(または悪訳度)を示したうえ、原文と邦訳、誤訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
今回取り上げるのは、原書THE COLLECTED SHORT STORIES of Roald Dahl(Penguin)に所収のThe Soldier。俎上に載せる訳文は、早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)『あなたに似た人』(田村隆一訳)所載の『兵隊』。
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誤訳度: |
*** |
致命的誤訳(原文を台無しにする) |
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** |
欠陥的誤訳(原文の理解を損なう) |
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* |
愛嬌的誤訳(誤差で許される範囲) |
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兵隊
[ストーリー]
夜だ。すべてが憩える夜。だが俺はイヌを連れて散歩に出ている。頭の中を、いろいろな思い出が駆け巡り、現実と夢幻の境も定かでなくなってくる。足の裏にとげがいつの間に刺さったのはいつのことだったろうか。そんな嫌な思い出より幼い日の海辺での楽しい日々を思い起こそうか。家へ帰ってみると、さっきと様子が違う。玄関の鍵の位置が逆、二階に上がると妻でなさそうな女が寝ている。確かめるためぐっと近づくと、女はいきなり平手を俺に食らわせて、階下にいそぎ警察に電話し始めた…。
田村隆一の訳文は、以前例証したことがあるように、誤訳・悪訳が多い。田村と親しかった宮田昇が書いているが(『戦後翻訳風雲録』)「田村は英語が得意でなかった」から、下訳者を使い、自分はそのリライトをして訳書を出していたようだが、この『兵隊』の下訳者は、相当な実力の持ち主だ。幻想的でわかりにくい原文なのに、誤訳、悪訳ともに少ない。かつ読みやすい。
そういうわけで、あまり文句をつけるところもないのだが、あえて意地悪く見てゆくことにする。
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●助動詞:** ●動詞:** |
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And when he had looked down, the pin was sticking into the flesh all by itself behind the anklebone, almost half of it buried.
‘Take it out’ he had said. ‘You can poison someone like that.’
見てみると、ピンは足の骨のうしろに突きささり、半分ぐらいはいっている。
「抜いてくれ」と彼は言った、「こんなことをしては、おまえは人をだめにしちゃうんだよ」
[解説]
can は(1)一般的能力 (2)論理的可能性 (3)反復 (4)許可・命令、の四つが主な意味。上記の訳は(1)または(2)ととっているようだが、ここは(3)例:Winter in New York can be very cold. (ニューヨークの冬は非常に《ときどき寒い》→《寒いことがある》→《寒くなりかねない》)。poison は「害する」「蝕む」。you は一般人称ととったほうがよいだろう。相手が自分の足にピンを突き刺したことに対して、恨み言を言っているのである。
修正訳 |
「こんなことしたら、身体がだめになっちゃうじゃないか」 |
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●イディオム:*** |
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A strange and difficult woman, that’s what she was. Mind you, she used not to be, but there’s no doubt at all that right now she was as strange and difficult as they come. Especially at night.
あの女ときたら、とにかく変わっていて、あつかいにくいんだ。まあ以前はそれほどじゃなかったんだが、いまとなったら、ほかの連中と同じように、なんだか変になってきて、扱いにくくなったんだよ。とくに夜はね。
[解説]
気づきにくいが、as 〜 as they come はイディオムで「とても…」。
修正訳 |
いまはとても変で気難しくなってしまっている、のは間違いない。
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●名詞:** |
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He paused awhile then, listening, and he wasn’t sure, but he thought he could hear the guns starting up again far away down the valley, heavy stuff mostly, seventy-fives and maybe a couple of mortars somewhere in the background.
ちょっと立ちどまって、彼はきき耳をたてた。そう、はっきりとはいえないが、遠くはなれた谷間の方から大半が重火器の射撃音だが、七十五ミリ砲や、その後方のどこからか二挺の機関銃の発射音などがきこえてきたように思った。
[解説]
a couple of は(1)二つの (2)いくつかの、のうち(2)のほうがここはよいだろう。
mortar は「迫撃砲」。「機関銃」では、迫力が乏しくなってしまう。
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●副詞:*** |
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And a long silence now, the man standing errect, motionless, the woman sitting motionless in the bed, and it was so quiet suddenly that through the open window they could hear the water in the millstream going over the dam far down the valley on the next farm.
ながい沈黙がやってきた。男は直立不動の姿勢で立っている、女も身動きひとつしないで、ベッドに坐ったままだ。急に静かになったものだから、水車堰の水がダムをこえて、農場につづく谷へと流れおちてゆくのが、ひらいた窓から聞こえてくるのだった。
[解説]
「ダムをこえて、…谷へと流れおちる」と読むには、going (over the dam) far down the valley などと、over the dam をカンマかカッコかダッシュで括らなければならない。それがないのに、掛かり方の順番を勝手に変えて読むことは許されない。over は(1)「こっちから向こうへ」(2)「向こうからこっちへ」のうち、go と結びつき(1)。far down the valley は the dam に掛かり、副詞 far で大まかな位置(離れている)、前置詞句 down the valley (谷を下ったところ)で具体的な場所を示す。on は、接触を示す前置詞。
正しい読み方: |
水車用導水路の流れが、向こうにあるダムに行く→そのダムははるか離れた谷間の底にある→その谷は隣の農場に隣接している。
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修正訳 |
水車用水路の水が、隣の農場の先にある谷間のダムに流れてゆく音が、開いた窓から聞こえてきた。
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