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私と同じような精読を旨とする英語指南書が出たので飛びついた。いや、私以上にねちっこく、その微に入り細に渡る解説には感心した。例えば—
reason は「理性」ではなくて、せめて「理屈」。もっといいのは、抽象名詞 reason の中に動詞 reason(推論、推理する)の意味を込めた名詞形、つまり「推論すること」と考える。抽象名詞に関し、その中にその動詞形(ときには形容詞形)の意味を含ませた名詞形と解する構文(たとえば、knowledge の中に動詞 know の意味を含ませた名詞形と考えて「知っていること」と訳す)を「(抽象)名詞構文」(Nexus Substantive)という。本書の終わりのほうの第二十一番と二十二番で名詞構文は完全にまとめるが、それまでにもちょくちょく出てくるし、そのつど説明するので、それまでに徐々に名詞構文の感覚に慣れていくという方法を採ろう。ここは reason を「推論すること、理由づけすること、論理で考えること」くらいの意味に解す。
いささかくどい筆致だが、我慢して読めば、役に立つこと疑いなし。
とはいえ、解説でいただけない箇所もいくつかある。改訂してよりよい本になるように、あえて指摘してゆこう。
(以下、番号①、②、… および下線部は、柴田がつけたもの) |
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(p9)
①It is enough for any man that he has the divine power of making friends, and he must leave it to that power to determine ②③who his friends shall be.
(筒井の解説)
①最初の It は真主語の名詞節 that he has the divine power of making friends (of は「同格」)を受ける仮主語で、こういう名詞節を導く that ってのは、さっきの特殊な副詞節の that に較べたら、はるかに“普通”だし、使われることもはるかに多いよな。後半の it は真目的語 to determine who his friends shall be の名詞句を受ける仮目的語。ところで、②この who 節の中の shall 、馴染みのない人が多いかな?二・三人称の平叙文に用いて話し手の意思を表す「意志未来」の shall ってんでね、我輩などは、昔、苦労しながら覚えたもんだ。古式ゆかしき文語調の shall だが、現代英語、とくにアメリカ英語ではまず使わない。You shall have my answer tomorrow だったら I will give you my answer tomorrow と同義で、「ご返事は明日差し上げます」と、この②英文を述べておる、あるいは話している当人の「意志」を表すわけだ。③who his friends shall be だったら、「誰を自分の友人とするか」であって、「誰が自分の友人となるだろうか」ではないぞ。
(柴田の見解)
①について
it 〜 that は簡単そうだが、実は難しい。つぎの四つの意味があるからだ。
a)
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It is true that he is ill.
(it は仮主語、that 以下が真主語) |
b)
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It was he that asked me for help.
(it、was、that を消して文が成立するから強調構文) |
c) |
It may be that they are in the right.
(It は状況、beは存在を示す、that 以下は本文 It may be (在りうる)に掛かる修飾語。that の前に for it、場合により of it(この it は that 以下を指す)を補い、「…という点で」「…という上で」「…に関して」と訳すと分かりやすい。) |
d) |
It happened that she was out.
(it が that 以下なのか、it は状況を指すのかはあいまい。) |
e) |
It is the woman who cleans the house.
(強調構文か、it は前出のものを指すかは前後の流れによる。) |
では、問題の箇所はどうだろうか。
It is enough for any man that he has the divine power of making friends, and he must leave it to that power to determine who his friends shall be.
筒井はa)としており、それで間違いはあるまい。
ただ翻訳者の視点では、it 〜 that ととり「天与の力を持っていることは、誰にとっても充分である」とすると、付加事項を示す次の節に続きにくい。「それ(友人を作る力があること)で充分。それ以上(誰が友人になるか)は…」と意識が流れることからして、上記の類別では d) ととることはできまいか。「it は、状況(友人づくりにかかわることがら)、that 以下は修飾語」と読んだほうが、すんなり訳せるのだが…。
enough は「過不足がない」という意味。leave it の it は仮目的語で to determine 以下が真主語。
原文に即した訳:(友人づくりの)状況は、誰にとっても、自分が友人をつくるという天与の力を持っているという点で、充分である。そして、誰が友人になるかはその力に委ねなければならない。
商品としての翻訳の例:誰でも、友人をつくるという天与の力を持っているというだけで十分であり、だれが友人になるかはその力に任せておけばよい。
②について
この解説、余計ではないか。本文は二、三人称の平叙文についてのものではないからだ。読者の頭を混乱させてしまいそう。
③について
「決める(determine)のは、その(the divine)力(power)に委ねよ(leave)」、と言っているのだから、意志未来(「誰を自分の友人とするか」)ではなく、単純未来(「誰が自分の友人となるか」)だろう。
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(p9)
For, though you may choose the virtuous to be your friends, they may not choose you; indeed, friendship cannot grow ④where there is any calculated choice.
(筒井の解説)
…。関係副詞 where の使われた節は全体で名詞節になるけれど、接続詞 where の使われた節は全体で副詞節になる(④つまり、前後にカンマが付されて、節の外に位置する)。Where we are weak, they are strong だったら、「ぼくらの弱いところで彼らは強い」だから、「こちらの弱い点が先方は強い」の意。諺に Where there is a will, there is a way(「意志のあるところに、道が拓けてくる」→「精神一倒、何ごとかならざらん」)があるな。「押忍!」の心じゃよ。
(柴田の見解)
④について
カンマの有無は接続詞としての指標にはならない(where が文頭にきた場合に、主節とのあいだにカンマを置く)。その例を示す。
Put back the book where you found it. (その本をもとあった場所に戻しておきなさい)
Where there is no water, there is no vegetation. (水がないところには、植物も生えない)
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(p43)
⑤I have wondered at the enthusiasm people have to meet the famous.
(筒井の解説)
⑥people have という which の省略された関係代名詞節が enthusiasm にかかって、「人々の抱いている情熱」。別個に不定詞の形容詞用法の句 to meet the famous も enthusiasm にかかって、「有名人に会いたいという情熱」。これを合わせると、「有名人に逢いたいという、人々の抱く強い情念を、私は昔から不思議なものだと思ってきた」となる。
(柴田の見解)
⑤について
サマセット・モームの文章だというので、懐かしく思い出したが、どこかヘン。THE SUMMING UP の原文を参照した。あれ、やっぱり違う。次が正しい文。
I have always wondered at the passion many people have to meet the celebrated.
(enthusiasms → passion celebrated → famous)
なぜ言い換えたのかは分からないが、筒井自身が「よく引用されるサマセット・モームの有名な例文」といっているのだから、言い換えはまずい。正文に即して、書いてゆく。
⑥について
ここ分かりやすく一文にすると、People have the passion to meet the celebrated.
「会いたいという情熱」と、to 不定詞の形容詞的用法(目的:…のための → 同格:…という → 充足:…に足るだけの)にはとれない。
passion (情熱)に「会うための情熱」といった種別・類別はないからだ。He got a driver’s licence to drive along the Pacific coast. (彼は太平洋岸をドライブするために運転免許証をとった)で、to drive は licence に掛からず(免許証に「沿岸運転用の」といった類別はない)、got に掛かるのと同じ道理。
cf. inculcate into them a desire to maintain that vigor through their normal life.
この maintain は desire に掛かる。They desire to maintain(維持することを望む)と言い換えることができるからである。「維持するための」 → 「維持したいという」
また、obtain a licence to hunt は「狩りのための免許(狩猟免許)をとる」とも「狩りをするために免許をとる」とも読める。要は、コロケーション次第なのである。
原文に即した訳:有名人に会おうとして多くの人々が持つ情熱には私はつねづね驚いている。
商品としての翻訳の例:有名人に会おうとして多くの人が示す情熱には驚きいっている。
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(p235)
The more original that discovery is, the more credit we shall give the artist, ⑦always assuming that he has technical skill sufficient to make his communication clear and effective.
(筒井の解説)
「the+比較級、the+比較級」の構文はいまさら説くこともあるまい。assuming の分詞構文は、「同時的動作」の用法にとって、「〜と思って(思いながら)」と訳そう。⑦「常に〜と思いながら」とは、「〜と信用できるとして」くらいの意味。ところで、his communication を、ボケッと、「彼の通信」なんて訳してるんじゃないぞ。communication は「通信」という抽象名詞ではなく、動詞的意味のこもった「伝えること、伝えるもの」の意の名詞構文。つまり、what he communicates (= what he wishes to communicate to us, the discovery which he wishes to communicate to us)の意。「その発見が独創的なものであればあるほど、われわれは⑦その画家が自分の伝えんとすることを明晰かつ効果的に伝えるだけの専門的な技量を持っていると信用して、画家を賞賛するのである」。
(柴田の見解)
⑦について
assume は「根拠なく思う」ことだから、上記のような訳語を充てたのだろうが、assuming that はイディオム化した独立分詞構文「…と仮定して」。always は強調:「常に」 → 「必ず以って」 → 「但し」(仮定を強調して)。
写実でなくメッセージを伝えるのが画家の務めという文脈からいっても、下線のようには取れないだろう(もし取れるというなら、イディオムとの違いを述べておくべき)。
訂正訳:発見が独創的であればあるほど、我々は画家に信頼を寄せる。但し画家が自分の伝えたいものをはっきりと効果的に伝えるだけの技量を持っていての話ではあるが。
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(p236)
Every man is his own best critic. Whatever the learned may say about a book, however unanimous they are in their praise of it, unless it interests you it is no business of yours. ⑧Don’t forget that critics often make mistakes, and you who read are the final judge of the value to you of the book you are reading.
(筒井の解説)
「すべての人は自分が自分にとっての最良の批評家である。学識者がある書物について何を言おうとも、どんなに異口同音にその本を賞賛していようとも、あなたがその本に興味を覚えなかったならば、その本はあなたにとって無縁の書物である。⑧批評家だってときには間違いを犯すし、あなたが読んでいる本があなたにとってどの程度に価値があるかを最終的に判断するのはあなた自身であることを忘れないように」
(柴田の見解)
⑧について
主節につづく目的語となる名詞節が二つあるときは、2つの that は省略できないのが原則。
例:
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He said that his father had gone out, but that his mother was at home.
(父親は行ってしまったが母親は家にいる、と彼は言った) |
cf.
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He said that his father had gone, but his mother was at home.
(父親は行ってしまったと彼は言ったが、母親は家にいた) |
例外:前のthatが省略される場合(これは往々にしてあるし、誤読の恐れはない)
例:
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I think we are all born with the gift for enjoying beautiful things, but that we are indifferent to many of them because our attention was never called to them in childhood.
(私は思うのだ。人は誰もがみな生まれつき美しいものを愛でる才を有するのに、子供のときに注意がそちらに向けられないため、そうしたものに無関心になってしまっているのだと。) |
例外:後のthatが省略される場合
例:
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The middle-class American isn’t, in his heart, sure that even the rebels are altogether wrong. Some, in fact, agreed that young people were not unduly critical of their country, and their criticism was actually needed.
(中流のアメリカ人は心のなかでは、反抗する者たちが全く悪いとは思っていない。それどころか、なかには、若者は不当に国に批判的なのではないし、彼らの批判も現に必要なのだ、と思っている人たちもいる) |
*次のような場合に見られることが比較的多い(この文は(1)(2)の要件を満たしている)。
(1)二つの節の動詞がbe動詞
(2)対立・対照または因果などで、一続きに読める
(3)誤用
引用文は(1)(2)があてはまらず、原則に従って and 以下を独立して読むのが順当(もし、どうしても続けて読む必然性があるのなら、それを説明しておかねばならない)。
原文に即した訳:
批評家はしばしば誤りを犯すことを忘れてはならないし、本を読むあなたが、自分が読もうとする本についての自分にとっての価値の最終的な判断者なのである。
商品としての翻訳の例:
批評家とて間違えることがあるのを忘れてはならない。読んでいる本の自分にとっての価値を決めるのは、結局のところ読み手としての自分なのだ。
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