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文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳・悪訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編から任意に選ぶ。いずれも原文で10ページに満たない短いものだから、読者も自分で訳してみて、この解説を参考に、市販訳との優劣を競ってみてはいかがだろうか。 冒頭に誤りの種別と悪訳度を示したうえ、原文と邦訳、悪訳箇所を掲げます。どう悪いのか見当をつけてから、解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。 今回取り上げるのは、『王女マメーリア』(早川文庫、田口俊樹・訳)のなかの『執事』(Butler)
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悪訳度: |
*** |
致命的悪訳(原文を台無しにする) |
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** |
欠陥的悪訳(原文の理解を損なう) |
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愛嬌的悪訳(誤差で許される範囲) |
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執事
[ストーリー] 成金のジョージ・クリーヴァーは、己の上昇志向を満たすため、一流料理と一流ワインで上流階級の人々をもてなしはじめた。主宰の晩餐会では、にわか勉強で、ワインの薀蓄を傾ける。ひょんなことから、晩餐会の席上、ワイン鑑識眼のことで執事を罵倒するが、じつは自分たちが一流ワインだと思って飲んでいたものは、三流ものだったことが分かってしまう。 |
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●語感:* |
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AS SOON AS GEORGE CLEAVER had made his first million, he and Mrs Cleaver moved out of their small suburban villa into an elegant London house.
百万という富を初めて築くとすぐ、ジョージ・クリーヴァーは夫人とともに郊外の小さな家を引き払い、ロンドンの高級住宅街に移り住んだ。
[解説]
この表現、何か落ち着かない。million はイギリスだからポンドだろう。直訳すれば「自分の最初の百万ポンド(をつくるとすぐ)」。「最初の」から「その後もつくり続けた」が含意される。元訳では「初めて築く」に力点があり、その築き方やその時の感動などがこれから述べられるのかなと思ってしまう。また「百万という富」の表現は、書き出しに持ってくるには安定が悪い、「百万」と具体的数値にしたため、その単位は何か考えてしまい「富」の実感が湧かないからである。
修正訳 |
初めて百万ポンドの大金を手にすると、ジョージ・クリーヴァーは夫人とともに郊外の小さな家を引き払い、ロンドンの高級住宅街に移り住んだ。 |
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●俗語:* |
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Terrific, ain’t it?
(それがこのワインにこうごうしい渋みを与えているのであります。) すごいじゃねえですか?
[解説]
気取ってみても言葉でお里が知れる、というところ。確かに ain’t は is not の縮約形で卑俗な言い方だが、もう少し自然なしゃべりにならないか。たとえば、尊敬語と謙譲語の誤用などに変える。
修正訳 |
(それがこのワインにこうごうしい渋みを与えているのであります。)私は驚かれました。 |
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●形容詞:* |
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‘You are very fortunate, sir,’ the butler murmured, backing out of the room.
「でしたら旦那様は大変幸運な方なのでございましょう」そうつぶやいて執事は部屋を出ていった。
[解説]
元訳では執事の皮肉が伝わらない。ここ、本人の思い込みが強く、周囲からは若干あきれられている様子が見てとれる。
修正訳 |
「いや旦那様はじつに幸せな方でいらっしゃいますね」そうつぶやいて執事は部屋を出ていった。 |
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●説明:* |
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‘Hogwash!’ said Mr Cleaver.
「そんなものは豚の餌だ(ホッグワッシュ)!」とクリーヴァー氏は言った。
[解説]
このカッコの説明は何のため(本当はふりがななのだが、打てないためカッコにした:筆者)「豚の餌」の原語は「ホッグワッシュ」なのだよ、といいたいのだろうか。 でもそれで読者の理解が進むとは思えない。「豚の餌」というのは「くだらないこと」の意味で使われているのだから、ここは単に意味を訳出すればすむところではないか。
修正訳 |
「そんなのはたわごとだ!」とクリーヴァー氏は言った。 |
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●動詞:* |
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‘I don’t believe him!’ Mr Cleaver cried out to his guests. ‘The man’s gone mad.’
「あいつの言うことを聞いちゃいかん!」とクリーヴァー氏は客たちに向かって叫んだ。
「あいつは狂ってしまった」
[解説]
日本語だけ読んでも、賓客に向かってこんな言い方はしない、と思うはずだ。believe+人は、「人のいうことを信ずる」の意。ちょっと、訳しすぎではないか。
修正訳 |
「こいつの言うことなぞ信じませんぞ」とクリーヴァー氏は客たちに向かって叫んだ。「こいつは狂ってしまった」 |
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●イディオム:** |
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‘Great wines,’ the butler said, ‘should be treated with reverence. It is bad enough to destroy the palate with three or four cocktails before dinner, as you people do, but when you slosh vinegar over your food into the bargain, then you might just as well be drinking dishwater.’
「「一級のワインというものは」と執事は言った。「敬意をもってしかるべく取り扱われなければなりません。みなさんがおやりになっているように、ディナーのまえにカクテルを三杯も四杯も飲めば、それだけで味覚を殺してしまうのに充分なのに、さらになんでもかんでも酢を振りかける。もうそうなってしまえば、皿をあらったあとのよごれ水でも飲んでいればいいんです」
[解説]
might(may) as well do (as 〜) は「(〜するぐらいなら)…したほうがよい」。ここは「酢をじゃんじゃん振り掛けるくらいなら、洗い水でも飲んでいたほうがまし」といっている。何も元訳のようにひねくり回す必要はあるまい。
修正訳 |
「一級のワインというものは」と執事は言った。「敬意をもってしかるべく取り扱われなければなりません。みなさんがおやりになっているように、ディナーのまえにカクテルを三杯も四杯も飲めば、それだけで味覚を殺してしまうのに充分なのに、さらになんでもかんでも酢を振りかける。それじゃせっかくのワインが洗濯水を飲んでいるのと変りなくなってしまいます」 |
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