|
文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された 『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画「007は二度死ぬ」の脚本家でもあるロアルド・ダール (Roald Dahl)の短編集「キス・キス」(KISS, KISS)。全11編を月二回、一年かけて点検してゆく。俎上に乗せる邦訳は開高健・訳『キス・キス』(早川書房)。
冒頭に誤りの種別と誤訳度を示したうえ、原文と邦訳、誤訳箇所を掲げます。どう間違っているのか見当をつけてから、 解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
|
|
誤訳度: |
*** |
致命的誤訳(原文を台無しにする) |
|
** |
欠陥的誤訳(原文の理解を損なう) |
|
* |
愛嬌的誤訳(誤差で許される範囲) |
|
|
告別
[ストーリー]
初老の富豪ライオネルは、若い美女ジャネット・デ・ペルジアと付き合っていた。あるとき、旧知のポンソンビー夫人から、ジャネットが自分の悪口を言っていたと告げられる。誇りを傷つけられたライオネルは、残忍な復讐を企てる。人気画家ロイデンが女性を描く際の、まずヌード、それから下着、ドレスと、絵の具を上に塗り重ねてゆく技法を知り、彼女の全身大肖像画をひそかに依頼した。でき上がった肖像画は、上塗り部分を丁寧に落としていった。そして、社交界の紳士・淑女を自邸に集めローソクの灯での晩餐会を催す。宴が終わり明かりが点くと、壁には何と下着姿のジャネットが飾られていた。
郊外の別荘に行方をくらますが、ジャネットから「貴方の冗談を怒ってはいない」との手紙と一緒に好物のキャビアが送られてきた。そのキャビアを後悔の念とともに数匙胃におさめたところ—何だか具合が悪くなってきた。 |
|
|
|
|
|
①不定詞:** ①連語:* |
|
|
① |
If I am to be quite honest with myself, I suppose I shall have to admit that what is disturbing me most is ②not so much the sense of my own shame, or even the hurt that I have inflicted upon poor Janet; it is the knowledge that I have made a monstrous fool of myself and that all my friends — if I can still call them that — all these warm and lovable people who used to come so often to my house, must now be regarding me as nothing but a vicious, vengeful old man. |
|
|
|
|
|
私がほんとうに正直であるなら、私を悩ましているものは、自分自身にたいする恥ずかしさというものでなければ、あの可哀そうなジャネットに私があたえた痛手でさえないということを認めなければならないだろう。私を悩ますものは、私自身をひどい馬鹿ものにしてしまったこと、そして、私の友だちのすべて—いまになってもまだ友だちとよべるのならだが、私の家へよく来てくれた、あの心のあたたかい愛すべきひとたちが、現在では、この私のことを、悪徳で執念深い年老いた男という外になにものもみとめてくれないということだ。
[解説] |
① |
be to do は可能、義務、運命、命令、予定と読むのが通例だが、if 節の中では意図・目的を意味する。「…しようとすれば」 |
② |
このあたり not so much A as B(AというよりもB) の変形で、not so much A; it is B。 かつ not α or β(A=αorβ)が含まれている。訳文には反映しにくいが、直訳的には「(私を悩ますのは)自分が恥じ入る感じ、ましてやジャネットを傷つけてしまったことというよりも、むしろ自分が馬鹿にされているのが分かっていることだ」 |
|
|
|
修正訳 |
正直にいえば、私が一番苦しく思うのは、自分の愚かさ加減でもジャネットに心の傷を与えてしまったことでもなく、自分で自分を笑いものにし、友人が皆(よく家へ来てくれたあの温かく愛すべき人たちを今でもそう呼べるとするならだが)、私を悪意に満ちた執念深い老人としか見ていないことだ。 |
|
|
|
●代名詞:* |
|
|
Well — let me see. Now that I come to think of it, I suppose I am, after all, a type; a rare one, mark you, but nevertheless a quite definite type — the wealthy, leisurely, middle-aged man of culture, adored (I choose the word carefully) by his many friends for his charm, his money, his air of scholarship, his generosity, and I sincerely hope for himself also.
ええと、どう説明しようかな。いま、あらためて考えてみると、私は、やっぱりひとつのタイプに属しているようだ。あまりないタイプ、いいかね。だがタイプとしては、きわめてはっきりしたものだ—金と暇がある、教養のある中年の男、魅力、金、知的な雰囲気、寛大さ、それに乞いねがわくば彼自身のために、たくさんの友だちから崇拝(私はこの言葉を注意深く選んだのだが)されているといったタイプ。
[解説] |
元訳は「それに乞いねがわくば」以下の掛かり方が不自然。この, and は情報を付加するしるし(付け足して言えば)。I と himself は同一人。自分を客観化して himself と言っている。この for oneself は「自分自身のために」(also で強調される)でよいが、hope は目的語(前述のこと)が内包された自動詞ととる。「彼自身のためにも心より(そうであることを)望む」 |
修正訳 |
裕福で包容力と教養のある中年の男、多くの友人からそうした魅力で敬愛(この言葉は慎重に選んだのだが)されているタイプではないかと思う、いやぜひそうであってほしい。 |
|
|
|
●代名詞:* |
|
|
I don’t think I need say any more. I have been very frank. You should know me well enough by now to judge me fairly — and dare I hope it? — to sympathize with me when you hear my story.
もうこれ以上言う必要はないと思う。私はすっかり打ち明けたのだ。私という人間を公平に判断できるだけのことを、あなたは知ったはずなんだから、それに、これはぜひお願いしたいのだけど—私の物語をきいて、あなたは私に同情してくれることと思う。
[解説] |
元訳では「これ」が何を指すのかわからない。it は文中で問題になっていることを示す。ここでは、to judge と to sympathize が並列し、その間に and dare I hope it? が挿入されていることから、itは後の to sympathize 以下を指すと考えられる。遠慮しながら、以下に自分に都合のよい内容を導いているのだ。 |
|
|
|
●形容詞:* |
|
|
But now the face is loose and puckered with nothing distinctive about it whatsoever. The individual features, the eyes, the nose, the mouth, the chin, are buried in the folds of fat around the puckered little face and one does not notice them.
しかし、いまじゃ顔もたるみ、皺だらけになってしまって、どう見たって格別これといったものはない。目、鼻、口、顎といった個性的な特徴も、クチャクチャとしたちいさな顔をかこんでいる脂肪の襞のなかに埋もれてしまって、ちょっと見分けがつかない。
|
[解説] |
確かに individual に「独特の」「個性的な」の、feature に「特徴」の意味もあるが、ここ、そうとるのは不自然(前の文にある distinctive こそ「特徴的」の意味)。この individual は「全体に対する個」、feature は「顔の造作」を指す、と取るのが順当。 |
|
|
|
●前置詞:* |
|
|
I shook my head, quite unable to answer. She turned away abruptly and placed the brandy glass on a small table to her left;
私は首をふった。とても答えられるものじゃない。と急に、彼女は向うをむくと、左の方にあるちいさなテーブルに、ブランディ・グラスを置いた。
[解説] |
英語の叙述の特徴として、場面を狭めてゆくことが多い。例:The innkeeper’s wife placed him gently on the bed beside the mother. (宿の女将は静かに子どもをベッドに寝ている母親の隣におろした:置く→ベッドに→母の傍らに ☆「母親のそばのベッドに」ではない)。ここも同じで、グラスを置く→小さなテーブルに→自分の左に。 |
修正訳 |
ちいさなテーブルの自分の左側にブランデー・グラスを置いた |
|
|
|
●形容詞:* |
|
|
He had a small pointed beard and thrilling blue eyes, and he wore a black velvet jacket. The studio was huge, with red velvet sofas and velvet chairs — he loves velvet — and velvet curtains and even a velvet carpet on the floor.
彼はちいさな尖った髭をはやし、心にしみるようなブルーの眼、それに黒いヴェルヴェットのジャケットを着てたの。スタディオは、とても広くて、赤いヴェルヴェットのソファと椅子—彼はヴェルヴェットが好きなんですよ—それにヴェルヴェットのカーテンがかかっていて、おまけに床のカーペットまでヴェルヴェット。
[解説] |
「小さな髭」ってどんなものかイメージできないが…。small は(1)背丈の低い (2)量が少ない、のどちらかだろう。(1)なら、短く刈り込んで尖っている、(2)なら、まばらだが太い、という感じだが、どちらにせよ、元訳はまずい。(1)をとりたい。 |
|
|
|
●動詞:** |
|
|
I can never under any circumstances resist good caviar. It is perhaps my greatest weakness. So although I naturally had no appetite whatsoever for food at dinner-time this evening, I must confess I took a few spoonfuls of the stuff in an effort to console myself in my misery. It is even possible that I took a shade too much, because I haven’t been feeling any too chipper this last hour or so.
上等なキャヴィアときたら、私はほんとに眼がなかった。それが私の最大の弱点じゃないだろうか。あたりまえなら、今日の夕食時に、とても食欲などあるはずはないのだが、この悲惨な気持ちをいくらかでも慰めようと、実は、このキャヴィアを数匙食べたのだ。それにしても、ほんの少しばかり食べすぎるってこともよくあることだ。なぜって、この一時間ばかり、気分がすこしもよくならない。
[解説] |
even は強調の副詞(まさに)。possible は(that 以下の)「可能性がありうる」であって「あること」という事実を指すのではない。that 以下は took とあるので、過去の事柄。a shade は「ちょっと」 |
|
|
|
|