|
文法力をつけたいが、無味乾燥な文法書など読みたくない。
そんな読者のために、人気小説の翻訳書にみる誤訳・悪訳をとりあげ、文法面から解説してゆく。題材は最近映画化された『チョコレート工場』の原作者で、日本がロケ地になった映画『007は二度死ぬ』の脚本家でもあるロアルド・ダール(Roald Dahl)の短編から任意に選ぶ。いずれも原文で10ページに満たない短いものだから、読者も自分で訳してみて、この解説を参考に、市販訳との優劣を競ってみてはいかがだろうか。 冒頭に誤りの種別と悪訳度を示したうえ、原文と邦訳、悪訳箇所を掲げます。どう悪いのか見当をつけてから、解説を読んでください。パズルを解く気分で、楽しみながら英文法を学びましょう。
今回取り上げるのは、『あなたに似た人』(早川文庫、田村隆一・訳)のなかの『味』(Taste)。
|
|
悪訳度: |
*** |
致命的悪訳(原文を台無しにする) |
|
** |
欠陥的悪訳(原文の理解を損なう) |
|
* |
愛嬌的悪訳(誤差で許される範囲) |
|
|
|
|
味
[ストーリー] マイク・スコウフィールド家の晩餐会。当主のマイクと来賓のリチャード・プラットがワインの銘柄当ての賭けをすることになった。プラットは自宅と別荘を、マイクは何と自分の娘を賭けた。わかるはずがないと、高を括っていたマイクだが、プラットはボルドー、メドック、サン・ジュリアンと正しく地域を狭めてゆき、ついに「シャトー・ブラネール・デュクリュー」と言い当てた。勝ち誇るプラットは青ざめるマイクに約束の履行を迫った。と、その時、静かに控えていた老婆のメイドが、マイクのインチキを暴露する。 |
|
|
|
|
● 掛かり方:* |
|
He refused to smoke for fear of harming his palate, and when discussing a wine, he had a curious, rather droll habit of referring to it as though it were a living being.
彼は、味覚のそこなわれるのをなによりも恐れて、タバコはやらなかったし、話が葡萄酒のこととなると、まるで人間のことでも喋っているような奇妙な、いや、私に言わせれば滑稽な癖があった。
[解説]
言葉のつながり(喋っているような…癖)がおかしい。
修正訳 |
彼は、味覚のそこなわれるのをなによりも恐れて、タバコはやらなかったし、話が葡萄酒のこととなると、それが人間ででもあるかのようにしゃべる、奇妙な、いや、私に言わせれば滑稽な癖があった。 |
|
|
|
●言葉の誤用:* |
|
Mike had then bet him a case of the wine in question that he could not do it.
で、マイクは、彼にあてられそうもないやつにワインを一函賭けた。
[解説]
in questionは「当該の」(ワイン)。do itは「名前を当てる」。bet O1 O2 that 〜 で「きっと…だとO1に(対し)O2を賭ける」。「やつ」はまずいだろう。
修正訳 |
で、マイクは、相手が当てられない方に当のワインを一箱賭けた。 |
|
|
|
●訳語選択:* |
|
‘Come on, then,’ Mike said, rather reckless. ‘I don’t give a damn what it is ---you’re on.’
「さあいいよ、どんなものでもかまわない」とマイクは無鉄砲な調子で言った。
[解説]
「無鉄砲な奴」「無鉄砲な行動」はよいが、「無鉄砲」と「調子」はコロケーションが悪い。
修正訳 |
「さあいいよ、どんなものでもかまわない」とマイクは無頓着な感じで言った。 |
|
|
|
●副詞:* |
|
‘You ought to be ashamed of yourself, Michael, even suggesting such a thing! Your own daughter, too!’
「あなた、よくも恥ずかしくないわね、そんなことを言い出したりなんかして!おまけに自分の娘だというのに」
[解説]
「そんなこと(結婚を賭けの対象にすること)を言い出すことさえ、恥じ入るべきなのに、おまけにその対象が自分の娘だなんてとんでもない」という意味。この too は、even と対で「しかも」の意味。
修正訳 |
「あなた、よくも恥ずかしくないわね、そんなことを言い出したりなんかして!しかも自分の娘よ」 |
|
|
|
●訳語:* |
|
‘Good!’ Mike cried. ‘That’s fine! Then it’s a bet!’
‘Yes,’ Richard Pratt said, looking at the girl. ‘It’s a bet.’
「えらい!」マイクは叫んだ、「よし、さあ、賭だ!」
「そう、賭だね」リチャード・プラットは娘を見守りながら言った。
[解説]
娘が承諾したので、賭けが成立したと、マイクが叫ぶ。それに応じてリチャードが、娘をじろじろ見たまま、同じ文句を繰り返すところ。プラットにはさもしい心があるのだから、「娘を見守る」はまずい。前の a bet は「賭」だが、後の a bet は「賭の対象物、すなわち娘」と読むべきところ(訳に出すのは難しいが)。
修正訳 |
「えらい!」マイクは叫んだ、「よし、さあ、賭だ!」
リチャード・プラットは娘を嘗め回すように見ながら、言った「賭だよ」 |
|
|
|
●訳し過ぎ:* |
|
He swirled the wine gently around in the glass to receive the bouquet.
芳香をとらえようとして、グラスをゆすりながら、葡萄酒をしずかに泡立たせていた。
[解説]
bouquet はワインの三要素(英語で fragrance。他の二つは body、color)の一つ。原文からは「泡立たせる」の訳語が出てこないが?そもそもそんなにかき回しては、bouquet がわからなくなる。
修正訳 |
芳香をとらえようとして、グラスのなかでゆっくりとワインをころがした。 |
|
|
|
●訳語選択:* |
|
‘Now---from which commune in Medoc does it come?
それではと、メドックのどの自治区の産か?
[解説]
commune はフランスの最小行政区(日本の小ぶりの市、町、村)。「自治区」では「多民族国家」みたいだ。ワインの話だからオシャレにそのままカタカナで「コミューン」でどうか。または「村」「地区」。
修正訳 |
それではと、メドックのどのコミューンの産か? |
|
|
|
●主体:** |
|
|
But the maid didn’t go away. She remained standing beside and slightly behind Richard Pratt, and there was something so unusual in her manner and in the way she stood there, small, motionless and erect, that I for one found myself watching her with a sudden apprehension.
だが、メイドはそこをはなれなかった。リチャード・プラットのすぐ後ろに、じっと立っていた。彼女の態度と、じっと身動きもせずに直立している姿に、なにか異常なものがあったので、私は、ハッとするような感じで、思わず彼女を見つめていた。
[解説]
sudden apprehension は「ハットするような感じ」はあいまい。直訳すると「突然の懸念」。何の懸念かというと、リチャードが何か悪いことをしたのではないか、という疑い。
修正訳
(当該部分) |
彼女の態度と、じっと身動きもせず直立している姿に、なにか異常なものがあったので、ひょっとしたら、という思いが急にこみ上げてきた。 |
|
|
|
|
|